2004年09月04日(土) |
もてるものとそうでないもの |
華氏9.11についていつか書こうと思っていた。
あくまでも映画作品としての評価である。 だから9月11日に書くとか、そういう気配りはしないのである。
「一つの方向に大衆の目を向かせるためには、他の方向を隠すことが最も効果的である」、というのが全体を通しての感想。
これは一神教という宗教観のなせる業だとおもう。あまり根拠がないが。 ムーア監督は、必要な情報を隠蔽し恐怖と権力を織り交ぜて国民を支配しようとするブッシュ政権を批判しているが、しかし、そのように言うムーア監督自身も、結局は作品の構成にそうした排除的な要素を取り入れている。
だから、この映画の中にネオコンのネの字も出てこないのはおかしいのではないか、ブッシュをスケープゴートにしているネオコンの戦略に、ムーアは一役買っているのではないか、などという意見もある。 別にどちらでもいい。これは重要に見えて瑣末なことだ。多くの観客はそう判断する。
彼の監督としての優れている点は、市井の人々の物語を丁寧にすくい上げ、説得力をもたせているところだ。息子を亡くした母親の悲しみの言葉には、普遍性がある。上手い。
次に、まともなドキュメンタリー映画で問題提起しても寄り付かない層の関心を惹き付けたところだ。映画作品として共感をよび、受賞した理由はココだと思う。
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映画を通して、戦争は悲しみと怒りと一部の人間の利益以外に何も生み出さない、ということが強烈なメッセージとして伝わる。そしてもう一つ。
アメリカという国で反戦を叫び実現したいのならば、まず金持ちになりなさい、ということだ。 「もてる者」にならなければ、舵取りの仲間には入れず、自分の命でさえ意思決定できない。虫けらのように戦争に駆り出され、殺されるのである。 このことは自分にはものすごくシビアで、恐怖を感じた。
さらにもう一つ。 爆撃で死んだ少女の遺体を、トラックに載せながら怒り悲しむ男性の、「何故こんな少女を殺す、俺を殴れ。死ぬことを恐れないものは死なない」という言葉。
感想などという生易しいものではなく、自分のとても深いところに刻み付けられた。
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