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■ 小さな花。
| 小さな花でも名前を知らない花でも、そこにさいていることに目が向くことがある。だからといってどうということもないが、気がつくというのは出会いなのだろう。
一昨日、比叡山で道を間違えて引き返すことになったとき、長男と愚痴を話していたのだが、ふと、道の端に笹が左右に触れているのに目がいった。長男も驚いていたが、あれは、山の神様が私たちの愚痴を聞きつけて「まあ、そう言わんと・・・」って手を振ってくれていたような気がした。実際のところ、がけ下から吹き上げてくる風に、たまたまその風を受ける向きに立っていた笹が揺れたというだけなのだが、私たちの心になんだか愚痴を聞かれたような罰の悪さが、起こってきた。
そこで「じゃあ、またね」といって手を振り返すと突然その動きが止まった。それにも驚いたのが、ああ、聞こえたのだな、届いたのだと思ってほっとした。予定のバスは乗り逃がしたのだが、本当に下山するためのロープウェイには間に合うように守られたのだ、そう思うことにした。考えてみれば、出発が遅くなったことへの家族での言い合いなどを口汚くしていたものだから、反省を促されたのだ。
本当に神様に聞かれたようにも思うけど、そうした心の動きは自分自身の中から沸き起こるもの。自然のなかにいるとその声が外景にも映されるのではないか。階段の脇においてある小さな鉢に、自然と生えた紫の花は、その階段を上るものにしか見えない。
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2006年05月06日(土)
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