週末に観た、2010年の邦画である。 元々は漫画「メスよ輝け!!」。 漫画がヒットした後に原作者によってノベライズされ、更に映画化されたという話であるが、どちらも未読である。 舞台は1989年、医療的にも後進地域の田舎の病院に赴任して来た凄腕の医者(しかし空気は読まない)が、患者のために脳死肝移植に踏み切るというフィクション。 20年以上経過した今でも、移植医療には賛否両論ある。因みに私はどちらかと言うと否定派。 この世は生者のための物、死者にとっては無用の長物となった臓器を生ける者のために有効利用しようというのは解る、解るんだが。 絶対に魂が戻って来ないのなら、それでもいいかも知れない。臓器のリサイクル。エコだよ、エコ。 しかし現在の医療が全てではない訳で、エコの筈が生者のエゴになってしまっていないだろうか。 そう考えると、怖いのだ。 身内の若い医療関係者に訊いてみた。臓器提供、お前ならどうする?と。 返って来た答えは 「絶対嫌だ。親から貰った大切な身体だもん。死んでも他人にはやりたくない」 と。意外であった。 医療現場で毎日のように遺族の悲しみに触れていたら、ハイ喜んでーと提供するのかと思いきや、 「運命だよ。寿命だよ、寿命」 とあっさりクールな答え。 考えは人それぞれなのだなあ、と思った。 ところでこの映画では、肝臓をやられてこのままじゃ危ないという父親に、是非私の肝臓を!と生体肝移植を希望する若い娘が出て来たが、赤の他人の私でも、オイオイそれは止めとけ!と声を上げそうになった。 生体肝移植は素晴らしいみたいに言われているけれど、老い先の短い方が未来ある若者のために犠牲になるなら兎も角、その逆は如何なものか。 臓器提供者のその後は、決して保障されている訳ではない。 提供後に体調が元に戻らずに、辛い生活を送っている提供者もいると聞く。 そりゃそうだ。どこも悪くないのにメスを入れて、正常な身体の一部分を取り除くのだから、不具合が出ないと思う方がどうかしている。 どこかで読んだ恐ろしい体験談を思い出した。 周囲の圧力に負けて亭主に腎臓を提供したら、体調を崩して、元気になった亭主には好きな人が出来たと離婚され、その後病院と縁を切れない人生を送っているという奥さんの話。 少なくとも生きているうちの臓器提供は止めといた方がいいよ!
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