2011年04月27日(水) |
名前を言ってはいけないあの病 |
登校中の小学生の列にクレーン車が突っ込んだ事故、あれだけ報道されていたのに、週を跨いだら全く聞かなくなった。 犯人の運転手は病気持ちだったようだが、TVの報道番組では何故か病名そのものを遣わず、 「痙攣を伴う発作のある持病」 という呼び方をしていた。 「癲癇」なら2文字、発音しても4音で済むのに、何故わざわざ長い呼び方をするのか。 考えられるのは、団体による圧力だ。 日本てんかん協会といえば、あの筒井康隆を断筆に追い込んだ団体である。 かの団体の主張に、当時はなんか面倒くせえ所だなという印象を持った。 今ネットで探して関連記事を読み返しても、やはり同じ印象しか無い。 普通の物書きなら面倒臭がって、嗚呼ハイハイと腫れ物に触るように当該箇所を削除したり訂正したりしてしまうものなのだろうか。政治家やTV局だと、あっさりそうするよね。 しかし筒井は違う。協会と断固戦った。 結局和解したようだが、それでも筒井は不満でブツクサ言っていたらしい。 あの断筆宣言から、もう20年近くも経つのだなあ。 圧力は無かったとしても、そんなてんかん協会が相手になる虞があるから、TV局も病名報道には慎重になったのだろうと思われる。 まあでも、普通に判っちゃうんだけれどね。癲癇だと。
個人的に、今回のような事故があると、やはり癲癇持ちにハンドルを持たせるのは怖いと思う。 ちゃんと服薬すれば大丈夫とは言うが、この犯人はそれを怠っていた訳だから、ちゃんとした人に合わせて全体のハードルを下げるという方法は宜しくないと思うのだ。 寧ろ、癲癇持ちの運転は基本的に禁止とし、厳しい条件をクリア出来た者にだけ免許を与えるというのはどうだろう。 病気持ちだから、障害者だから、と世間が甘やかしたのでは、本人にとっても社会にとっても益にならないと思うのだ。
癲癇から話は逸れるが、精神病患者でも医者の許しがあれば車を運転出来る。 ずっと前にも書いたが、知り合いの医者が、ハンドルを握らせるには心許ない患者にも、運転を許可していた。 同僚の医者も、あの人に運転は止めさせた方がいいんじゃないのと言いつつ、主治医なのでそれ以上の事は言えない。 何故運転を許可しているのかと問うと、その医者は答えた。 「だって、運転出来ないなんて、可哀相じゃん」 正直、呆れた。 自分の身内がその患者か或いは似たような状況の人間の車に轢かれない限り、この人は理解出来ないのだろう。 私はそういう人間ではないので判らないが、そういう人間は案外多いらしい。 片方にだけ入れ込んで、客観的に物事を見る事が出来ないのは、愚かである。
障害も病気も気の毒だが、差別と区別は違う。 悲劇を避けるためにも、ハードルはなるべく高く想定するべきだろう。
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