TVで、同和利権に絡む不正支出の報道をやっていた。 同和問題については小学校6年生の頃、社会科で習った。 小学生ながら白土三平の「カムイ伝」を読んでいた(同級生達がアイドル歌手に夢中になっている時、私はそんなものには目もくれなかった。カムイの方が断然格好いいからな。見た目も人間的にも)ので穢多非人(変換出来ない上に、旺文社の国語辞典を引いても漢字は載っていなかった。こうして言葉は消されて行くのである)については知っていたが、そんな差別は江戸時代のものだと思っていた私は、昭和の代にも身分差別が残っている事にショックを覚えたものである。 しかし今回のニュースで、平成の代になっても本当にそんなものがまだ存在するのかと、またまた吃驚した。 私は生まれてこの方、そんな差別にお目にかかった事が無いのだ。 主人に訊くと、こう言った。 「僕も実際目にした事は無いな。でも関西では、未だに酷いらしいよ。出張で京都に行った時、タクシーの運転手さんが話してくれたけど、障害があると『部落みたいだ』って言い方をするんだって」 「なるほど、同族結婚を繰り返していて、畸形や障害の率が著しく高いからね。それにしたって酷い言い方だけど」 「だよね。でもそんな風に、日常的にそういう差別はあるんだってさ」 と言い、他にもこんな話をしてくれた。
10年ぐらい前、インターネットが一般市民に普及し始めた頃の話。 音楽好きの主人は、ロック関係のチャットに出入りしており、そこで大阪在住の在日韓国人と知り合った。 彼自身も在日だというだけでまともに就職出来ないでいたが、関西では、同和差別も酷いと言って、こんな話をしたそうだ。 差別を受けて激情に駆られて人を殺した男が、獄中で悔い改めて、人殺しをした自分の指を切り落として僧侶になった。 しかしどこの寺でも受け入れて貰えず、拾ってくれたのは結局部落専門の寺だったという。 御仏の弟子と言いながら、仏教界でも公然と差別は行われているのだ。 宗教なんて所詮その程度のものか、とこの話を聞いて、主人は益々宗教嫌いになったそうである。 暫く在日の彼を見かけなくなったある日、ひょっこり彼がチャットに戻って来た。 久し振り、どうしてたの?と皆が訊くと、PCを売ってしまったので、チャットが出来なかった、今はネットカフェから接続していると言う。 働き口が無くなって生活に困窮したため、ミュージシャン志望だったのに、ギターまで売ってしまった。 今は日雇いで働いており、もうここへも来れなくなるから最後に挨拶に来た、と彼は言った。
「頑張れよ、と皆で声をかけたけれど、どうしようもないもんなあ。何かね、もう本当に遣り切れなかったよ」 話を聞いて、私も、どよ〜んと暗くなってしまった。 「でもさあ、そんな目に遭ってまで、どうして大阪に居続けるのかしら。東北や関東に来たら、そんな差別なんて無いから、もっと生活し易いと思うんだけれど」 「何だろうねえ。兎に角あの話を聞いて、僕は益々関西が嫌いになったよ。でも、そう思っている自分にも矛盾を感じるんだ」 ああ、それはとっても解る。 私は差別主義者だから、反対側からそれを見ている。 差別はいけないと言いながら、その人は、差別する人間を差別するという、自己矛盾を抱える事になるのだ。 色々な意見を認めるべきだと言う人は、1つの事を正しいと断定する人の意見は認めていない。これは矛盾であると私は常々感じていた。 それと同じようなものではないか。 主人にその話をしてみると、同意してくれた。 「うん。そうなんだよね。で、シオンはやっぱり差別主義者なのか」 「そうです。肌の色が違うとか、生まれ付きのものによる差別は駄目だけれど、その人の行動による差別はあってしかるべきです。従って、犯罪者や同性愛者は差別してOKだと思います。私の中では同性愛は犯罪ですから。私は彼等の人権は、断固として認めませんから!」 「……いいよ、シオンはそれで。これからもそのまま邁進して下さい。周囲に迷惑をかけない程度にね」 了承が取れたので、このまま突き進みますよ!
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