デンマーク紙がムハンマドの諷刺画を掲載し、イスラム教徒達がそれに反発、あちこちでデモやら焼き討ちやら起こしたもんだからさあ大変。 いつも思うのだが、どうしてイスラム教徒は過剰に反応するのか。 いつだったか、ナイキ社が運動靴に付けた「Air」のロゴがアラビア語の「アラー」に似ており、神を踏み付けにするとは何事だ!とのクレームが付き、製品を回収するという事態があった。 数年前にも、自動車のタイヤの溝の模様がコーランの文章に似ているというクレームにより、やはりその種類のタイヤが回収になっている。 殆どアメリカの訴訟のようないちゃもんとしか思えない。 しかも今回の諷刺画は、イスラム教徒が騒ぎ立てたお蔭で世界的なニュースとなり、デンマークのみならず、ヨーロッパ各国の新聞にも掲載される事となった。 「ここまで来ると、馬鹿かと思うわね。自分達で余計に騒ぎを大きくしているんだもの」 と私が呆れると、ダーリンはこう言った。 「でも、自分達の信じるものを馬鹿にされたんだから、イスラムが怒るのも尤もだよね」 「それは解るけどさ、ここまで来るともう勝手に怒ってれば?って気にもなるわよ。一寸した事で騒ぎ立てるんだもの、馬鹿にもしたくなるわよ。ドラマの「白夜行」では教会を破壊する演出をしていたけれど、キリスト教徒は暴動なんて起こさないでしょ? 流石に聖書の教えを無視してホモにまで寛容なのはどうかと思うけれど、イスラームはいちいち煩い」 しかし彼は、そうかなあと言う。 「貴方って、宗教が嫌いと言うくせに、やけに信者の方を持つのね」 「うん。平和を叫びながらも、戦争を起こしているのは宗教なんだもん。でもさ、この場合は、表現の自由よりも信教の自由の方が優先されるべきだと思う」 「まあね。そりゃ報道する連中は自分達の食い扶持に関係するんだから、表現の自由と叫ぶだろうけれど、私も信教の自由の方を支持するよ。でも、イスラームは騒ぎ過ぎ。過剰反応するから、新聞社だってからかいたくもなるのよ」 それから宗教の話題になり、救われるとはどういう事かという話になった。(因みに、我々夫婦は無神論者ではないが、特に何かの宗教を信奉している訳でもない) ダーリンは、終わりの日には全ての人が救われるという、仏教の考え方が好きだと言う。 しかし、私はそんなのは許せない。 悪い人も一緒に救われるんじゃあ、それまで善い事をして来た人とのバランスが取れないではないか。 やはり、罪人には罰を与えないと! そう私が主張すると、私にはよく解らないのだが、 「シオンはキリスト教的だね」 と彼は言う。 「やっぱり僕は、皆一緒に救われる仏教の方がいいなあ」 と言うので、私はフンと鼻で笑った。 「キリスト教と仏教の違いって、何だか知ってる? キリスト教は悩める青年のイメージだけれど、仏教は悟り切った中年のオッサンなんだってよ。加齢臭がするのよ」 貴方にぴったりね、と言うのは止めておいた。
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