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おとなの隠れ家/日記
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2008年02月14日(木)
『あのね、お願いがあるんだけど』



優美香は、そうキーボードに打ち込んだ。
誰かにお願いごとをするのは
仕事以外となるとめったにない。
だから、願いごとのその先がどうなるのか
優美香にはわからない、というよりは、なんだか怖かった。



「ほんと、最近の男ってつまんないよ、何考えてんだか」

理子はテーブルに肘をつき、目の前でロックグラスをカラカラいわせながら言った。

「ほぅ、また恋が終わったみたいね」

優美香は、冷蔵庫からブラックペッパーがきいたクリームチーズを取り出し
お皿に並べて、理子の前にトンと置いた。

「恋? さあどうだかねぇ」

理子は、そのチーズをつまんでくちの中に放りこみ、ゆっくり顎を動かした。

「で、どんな相手だったの?」

理子の話は始まったばかりだというのに「だったの?」と過去形にしたことを
優美香は、しまった、と思ったが
馴染みのイタリアンでオマールのパスタを肴にワインをいただき
イケメンのバーテンダーのお店でカクテルを楽しみ
部屋では二杯目のスコッチということで
由美香の心配も必要ないようだった。
理子は、くちに広がったチーズを流し込むように大きくひとくちスコッチを含んだ。

「ちょっとした飲み会があってさ、そこにいた男」

優美香は、理子のグラスにスコッチを注ぎながら、話の続きを待った。

「まぁ、なんだかんだ話をしながら盛り上がってさ・・・」

その日はメアドを交換し別れ、その後メールのやり取りをしていたらしい。

「ラブって感じじゃなかったのよ、気が合うってことでね・・・」

ときどきメールを交わしていた。
それから3ヶ月が過ぎた頃、食事でも、という話になったらしい。

「その日のイカの造りが、そりゃー美味しくってさ・・・」

すっかり上機嫌だった理子は、それから2軒ほどバーをハシゴしたのち
気が付けば、ホテルの一室にその男と居たという。

「誘われたのか誘ったのか覚えてないけど、雰囲気でってあるじゃない?」

トロンとした目で同意を求める理子に
優美香は、まあね、というような含み笑いを浮かべながらうなずいた。


「そしたらさ、翌朝、ヤツが言ったのよ、"まさか" ってね」


まさか、こんなにすぐに
まさか、こういう関係に
まさか、キミとボクが
ということだろう。


「で、どうして? って聞くわけよ」


そりゃ、答えられないし、答えたくもない質問だ。
コーヒーのお代わりをしたって言葉は出ない、と優美香は思った。
聞けば、相手の男には彼女がいるという。
その男は、酒のパワーがなくなって素に戻ったときに
罪悪感にでもとらわれたんだろうか?

「私の立場はどうなるのよ、って感じだよ、まったく」

うむ、まさにね。
流れにまかせた結果を、つつかれてもな。
ご飯とパン、どちらにします? ときかれて、パンと答えたら
なんで?と追求されたようなもんだ。
そんなの、その時の気分だろ?

「だいたい、セックスがなんだっていうのよ」

理子は、空になったグラスを差し出しながら言った。
優美香は、あわててボトルを取り、三杯目を注いぎながら聞き返した。

「理子はどう思ってるの?」

「そりゃ、気に入った男と気持ちいいことする、ってことでしょ」

優美香はクスリと笑って言った。

「当たりね、それ」


理子は、注ぎ終わったグラスをかかえたまま、目を丸くして言った。

「え? 優美香は、愛情表現のひとつとかって言うかと思ってたけど」

「そう答えるには、もう経験積みすぎだよ」

理子には、その先に続く、優美香の考えていることがわかったかのようだった。
ふと、テーブルに視線を落とし、再び優美香を見つめる理子の顔には笑顔が広がっていた。

「乾杯しようぜ」

二人はグラスをカチンと合わせて、互いにグラスを空にした。
理子はけだるそうに立ち上がり、二つのグラスを持って台所へと向かった。
冷蔵庫に体当たりしたかと思うと、冷凍庫を開けて氷を手づかみでグラスにいれた。

「今夜は泊めてもらうからさ、せめてこのくらいのことはね」

台所から聞こえるドタン、ガラガラという音を聞きながら
優美香は理子と長年付き合っている理由を改めて感じていた。

「ねぇ、優美香、で、アンタは最近どうなのさ」

お酒をつぐのはアンタね、と言わんばかりに、優美香の目の前に二つのグラスが置かれた。
スコッチと氷が絡み合う音にまぎれて、優美香が言った。

「気持ちいいのなら、ご無沙汰だなぁ」

「あらら、らしくもない」

理子は、そう言いながらグラスをかかえて、クッションにおしりから座った。

「そういう気にさせる男がいないの?」

「いなくもない、ただ・・・」

「ただ?」

「きっかけがつかめない」

理子は一瞬、眉間にシワをよせたかと思ったら、大声で笑い出した。

「はい? 優美香ちゃん、今、なんて言ったの?」

「きっかけがつかめない、って言ってるの!」

理子は、グラスをテーブルに置き、おおげさに両方の手のひらを上に向けて言った。

「まあまあ、優美香がそんなにウブなこと言うだなんて」


深夜なんだから、そんなに越え高々に笑われると迷惑だ!という顔をしながら本音では
痛い所をつかれたようで、バツの悪い優美香だった。

「あのね、そういうときはね "抱いてください" ってお願いするのよ」

理子は、さらりとそう言いきった。

「理子、当たりね、それ」

と優美香は心の中でつぶやいた。


チョコレートに似ている。
好みの味は、わかっている。
また食べたくなるような味もわかっている。
いつもの味は、心地よさを与えてくれる。
知らない味もあるだろう。
美味しそうだな、と思えば試してみればいい。
もし、ハズレだったら?
二度と食べなければいい。
手が届きそうにないチョコレートに出合ったら?
どうしても食べたかったら?
食べたいとお願いすればいい。



寝息を立て始めた理子に毛布をかけたあと
優美香はパソコンのスイッチを入れた。


「あのね、お願いがあるんだけど・・・」



== Story for Valentine's Day 2008 ==