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おとなの隠れ家/日記
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2005年01月15日(土)
便利だけど、つまんない



いっこ前の書き物で
車のメーターの話から時計の話に引っ張った、デジタルの落とし穴について
もうちょっと考えてみたので、書いてみる。


デジタルって慣れてしまうと問題ないようにも思えるが

わたし的には
前後のあるものと、それだけしか目に入らないものでは
意識への伝達が違うんじゃないかと思うんだ。


たとえばね
電子辞書と普通の分厚い辞書。
一発ヒットするという点では、電子辞書での検索がラクじゃあるけど
頁をめくる辞書には前後があるから、関連性のあるものに目がいったり
前後を見ることで別のこととミックスされて記憶に残りやすかったりもする。

悪くても2〜3度引けば、ほとんど覚えられた記憶力も
今では10回引いても、まだ覚えられない言葉だってあるほど低下してしまった自分としては
一発ヒットのその時だけわかる、という特性が有効ばかりじゃないよな、と思う。


膨大なデータがあって、それがエクセルだったりすると、キーワードを入力することで
瞬時に欲しいデータを目の前に出してくれるんだけど
そのデータの前後やバックグラウンドまでは、それだけで読み取ることが難しいときがある。

かつての帳面形式であれば、頁をめくることでデータは独立していないから
繋がりみたいなもんまでみえてくるのが、ひょんなことで助けになったりもする。


記憶というのは、常にそこにあるものばかりじゃなくて
何かのきっかけで思い出したりするものもあって
目に触れなければ、永遠に思い出さないものもあって

書棚に並ぶアルバムなら、なんかの拍子で手にしながら開くこともあるかもしれないが
パソの大量のデータに埋もれた写真は、忘れ去るものも出てくるだろう。

そして
パソを入れ替えるときに、すべて消えて無くなることも。

メールなんて、まさにそれ。
手紙やハガキなら、どこへやったか不明だということはあるけれど
捨てさえしなければ残るものだが
パソや携帯の中にあるメールは捨てる気がなくても消えていく。
本体入れ替えなんかしたらテキメンね。


パソコンの奥に眠った言葉たちは、呼び出されない記憶の引き出しの中に入っているようなもの。


忘れてしまう
なかったことにする


デジタルな日々を送りながら
なんかつまんまい
そう思うことがある。