
おとなの隠れ家/日記
marko
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| 2004年09月16日(木) ■ |
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| 見えないんじゃなくて見ていないんだろう? その8 |
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佐世保で起きた事件をもとに、専門家の方々も教育を見直す方向で模索しているらしい。
番組では、長崎のある小学校で「死」についての授業を取材していた。 今まで授業では触れなかったテーマらしい。
教師は、事件後、刺した女子が「わるいことをした、会ってあやまりたい」 といった言葉に引っかかったという。(わたしも引っかかった) こどもたちにとって「死」は、どういう捉え方をされているのかと。
小学生3年生ぐらいだろうか。
「人は死んだらどうなるか?」
という問いに、33人中、28人が「生き返る」と答えたそうだ。
生きたいという思いが強いと生き返る 殺されたり自殺をしたりした人は残りの人生を生き返って続けられる
まるで小説や映画のようだ。 なぜそう思うかと聞くと「テレビでみた」という答えからも、 創りものと現実の違いを、まだわかっていないとみていいだろう。
教師はこのテーマを家の人と話してみましょうと宿題にした。
家でこどもと母親が話しているところを取材していた。 その家のこどもも「生き返る説」を信じていた。 母親は、自分のこどもが死を理解していないと驚いていた。 生き返る、つまり人生をやり直せると思っていることが信じられないと。 死んだら二度と会えなくなるということは当たり前すぎて どう説明したらわかってくれるのか、教える方も戸惑うと話していた。
そしてこともあろうか、「人を殺したいと思ったことがある?」と聞いていた。 母親は、聞きたくないけれど聞いたといっていた。 今はこういう話にも触れてこどもと話さなくちゃいけない時代なのかと困惑気味だった。
なんか目線がずれてやしませんかねぇ。 殺意について、こどもに聞いちゃいけないと思うよ。 「ない」とも「ある」とも答えさせることに、わたしは反対だ。 こどもの答えには、本当ではないことも曖昧なことも含まれているからだ。
今のわたしにとっても「死」は難しいテーマのひとつだ。 10年ちょっとしか生きてきたこどもが死について首をかしげる姿に、そうだろうなと思う。 死について何を知っていれば、死を理解したことになるのか。 教えるという前に、おとなは理解しているんだろうか。
実際、わたしもこどものころは「生き返る説」を持っていたように記憶している。 会えないけれど、どこかで生きているってね。 サンタクロースの存在を信じるような気持ちに似て。
17歳の書き込みに
死というものがとういうことか理屈ではわかるけれど 実際、人の死を見たことがないので実感がない
と、いうのがあった。 驚くこともないだろう、そうだろう。 友だちをなくした、親がなくなった、そういう経験がなければ人の死について それがどういうことなのか、わかりにくいはずだ。
病院やお葬式で亡くなった方を見ることはあっても 事故死、殺人現場での死体を見ることは、ほとんどないといっていい。 にもかかわらず、テレビや映画だけでみる。 映像が実際のものと近いとか、かけはなれているとか、比べることはできない。 それしか見ていないなら、そういうもんだと思うだろう。 まして、死んだはずの人間が作品的に生き返りでもするなら、生き返ると思うこともあるだろう。
わたしは「生き返る説」が死について理解できていないとは思っても だからソレが殺意に結びつくかといえば、そればかりじゃないだろうと思う。 死んでも生き返るから殺してもいい、と仮定すれば そこに痛みが伴うことを削除した考え方になる。
相手が痛いだろう、苦しいだろう、 死んでしまったら回りが悲しむだろうということに対し 実感として、それらの気持ちがわかないことが殺人や自殺の動機に関係するんじゃないかと。
死と殺意は、本来なら分けて考えたほうがいいんだろうが テレビから流れ出す創作品やニュースの影響なのか 番組の中でのこどもたちは、死という言葉から連想するものに「殺人」や「戦争」も含まれていた。
「大人は命を大切にしなさいというに、どうして戦争するの?」
もし、こどもにこんなこと聞かれたら、わたしは死んだフリでもしてしまいたい。
ゲストの方々がいうには
動物の死で感じる悲しさを伝えたり、自分(おとな)が体験した話をしながら 自分がどう思ったか、どれだけつらくて悲しい出来事だったかを話して聞かせるといいだろうと。
生の喜びを伝えるのもいいと。 生きていることが、どんなに素晴らしいかとね。 死んだら、そういう思いはできないと。
わたしもそう思う。 人が死んだら二度と会えないというのでは不足だ。 離れ離れになれば生きていても二度と会えないことはあるのだから。 それよりも悲しいことなんだと聞かされるほうが、わかりやすい。
ちなみに、 わたしが、人は死んだらそこで終わると考え出したのは24ぐらいだったと記憶している。 祖父の遺体を中学生のときに見ていたにも関わらずだ。 大好きだった先生が死んでしまっているということを認めたくない気持ちは、今でもある。 どこかで生きているんじゃないかと。
死んでラクになりたい.....友だちはそう言った。 死んだことないのに、どうしてラクになれると思うんだろう。 死んでしまったらラクだという体感はできないはずなのに。
おとなだって、わかってない。
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