日々是迷々之記
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2006年08月21日(月) 自己崩壊

今日は盆休み明けの仕事始め。携帯に病院から電話があった。転院の件。最近母親のことはすっかり忘れていたのに思い出した。病状は安定しているらしい。

先日、母親のところに同窓会のお知らせが来た。田舎の人たちは入院しているのを知っていてそういうものを送ってくる。「容態はどうですか?」と書き添えて。私は素直に「半身不随で入院しているので参加できません。今後、こういったご案内もご遠慮ください。次女○○」と書いて返送した。

私はこないだから次女になった。長女は母親が前に生んだ人で、妹は三女になるのだろう。日本語と言うのはよくない。ただのシスターが、長女、次女、三女というヒエラルキーを与えられる。「長」の表す漠然としたリーダー感覚に私はずっととらわれてきた。ちゃんとしなければいけない、ぼんやりできない。お金も稼いで、家事もやって、将来親が倒れたらめんどうをみなければいけない。それは若い頃から覚悟をしてきていた。それを支えていたのは、何だかんだと言っても、あの母親は私しか頼るところがないのだろうという思いがあったからだ。

しかし、実際は隠しごといっぱいだった。父親のことを聞くと怒り出して手を上げたりして、幼い頃から「聞いてはいけないこと」だと刷り込まれた。

今の私の人生は平和だ。賃貸だけど庭のある家、ちゃんとだんなさんまでいる。仕事もあって、家事も適当。酒を飲んだり、バイクに乗ったり、能天気でもちゃんと生活していける。

そんな生活の黒い影が母親の存在だ。正直、私が独り者なら外国へ出て、どこかで結婚して二度と日本には戻らないだろう。民生委員だって外国までは追ってこないと思う。しかし、ここでこうしている以上、軽くアイデンティティを崩されながら、生きてゆくしかないのだろう。

騙す方と騙される方、神経さえ太ければ騙す方が絶対得だ。親が子供を騙すというのはどうなんだろう。子供は半ば洗脳されるわけだが、それは罪深いことだと思う。しかし、良心の呵責さえなければ、都合のいいように洗脳して思った通りに動かす方が得は得なのだ。

ちょっと前に畠山容疑者が新聞、週刊誌で叩かれていた。でも、考えの浅い母親はああいうふうになるだろう。人前では友達親子っぽくふるまって、家の中では気に入らなかったら暴力、他に面白いことがあれば子供なんか放置。うちの母親もああいう系の人だ。しょちゅう「生まなきゃよかった。」と言っていたし。消されなかっただけ、彩花ちゃんよりはましだったのかもしれない。

30年間騙されていて、それを30年かかって取り戻すとしたら、私がそれにとらわれないで生きる人生は10年ちょっとしかない。長くて短くてそしてくだらない。そしてそこまで自分を保っていられるのだろうか。

ちょっと自信がなかったりする。


nao-zo |MAIL

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