日々是迷々之記
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2006年08月14日(月) 真夏の気持ち

ただいま盆休みである。家にいるのは10年ぶりぐらいのような気がする。バイクの免許を取ってからはほとんどキャンプだったし、結婚してからは離島やらなんやらで家にいることはまずなかった。

だんなさんは五島列島に行ってしまい、私は家で読書の毎日だ。

さてこの盆休み。本来ならばキャンプとかに行く休みではなく、亡くなったご先祖様が戻ってくるのを出迎えるかなんかの目的があるようだ。私の育った家は、仏壇、神棚の類はなく、そのへんは経験せずに大人になった。

友人の話を聞いてみると、お供えを買いに行ったり、お坊さんが来たりといろいろするらしい。

ふうん、そうなんやと思い、やっぱり私は特殊な環境で育ったのだなあと思った。親戚づきあいもないし、いとこが今どうしているかも分からないし、ついでに最近姉がいることがわかった。だから今の人生がどう変わるわけではないが。

私の母親は一人勝ちの人生であるな、と思う。お寺の息子と結婚→第一子出産→子供を置いて離婚→当時既婚者だった父親と出会う→私を妊娠出産→父親離婚→父と母親結婚→妹を出産→子供を置いて再び離婚→後に私たちを引き取る→私たちが結婚する→株、金貸しなどをやって暮らす→倒れる→寝たきり

姉とは前のだんなとの間に出来た子らしい。おばさんに聞いたのだが、私が高校を卒業した頃、祖母が亡くなって、そのお葬式に来ていたらしい。それがきっかけでつきあいが始まり、一時は金銭的援助をしていたらしい。何でもその元だんな(寺の息子)が死んでしまったかららしいが、多分わたしより10歳くらい年上の人間になんで金銭的援助がいるのだろうと思った。おそらくロクデナシなのだろうなあ。

母親が倒れた後、いろんなことが明らかになった。あの人は何も言わない人で、妹は父親の顔も名前もおぼろげだろう。しかし陰で私や妹から徴収したお金(うちは高校を卒業してから二人とも働いている)をその最初の娘に援助していたのだ。あーあ、私は水商売までしたのになあと思った。

というわけで品がなくて卑しい人生を自由に闊歩した老人が一人、そして騙され続けて30余年の愚か者がここにいるのだ。民法上、親子の縁は切ることができない。ということは親というのは子供に殺されない程度に好きにしていいのだ。倒れれば養ってくれるだろ?それが義務なんだよ、ゴルア!ってことで。

明日は病院に呼び出しをされている。転院の相談らしい。私としては見舞いに行く用事もなく、死んでから連絡をくれればいいので、入院費用を振り込みで、おむつは病院側が用意してくれるところなら、北海道でも沖縄でもどこにでも動かしてくれてかまわないのだ。でもまあ、住民票や保険証の手続きのことを考えると関西が無難か。

しかしまあ生きるのはむなしい。子供の頃は怒られるんじゃないかとびくびくして、ほめられるために勉強して、大人になったら金銭的負担を強いられる。あの人が亡くなるまで私の月収の半分は持って行かれ、墓、葬式で多分ローンを組むことになるだろう。

私はきっと親にはならないと思う。霞が消えるようにいつのまにか死んでしまうような死に方がしたい。何も残さずに。


nao-zo |MAIL

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