日々是迷々之記
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| 2002年04月10日(水) |
外国人じゃダメかしら? |
ちょこっと残業をして帰り、食事の準備をしてテレビをつけた。私は普段、ほとんどテレビを見ない。新聞を取っていないので何をやっているかわからず、だんだんとテレビから遠ざかっていった。
たまたまテレビでは、ワールドカップ共催記念ということで、韓国と日本の知られざる関わり、みたいなことをテーマにやっていた。番組中では、歴史を遡り、いかに私たちが知らないところで、深い関わりがあるかを紹介していた。
その中で気が付いたのは、「日本人はいつも外国人より優れていると思っている。」という考えである。特に、私の親の世代、第二次世界大戦直後に生まれた世代の人はそういう考えが強いようだ。
もう一つ、「日本はよそ者に厳しい」という事実を改めて認識した。これは、私が人生の一時を過ごしたカナダと比較しての話だが、今回のテレビ番組を見て、その思いは強まった。
「日本人は外国人より優れいている。」どうしてそう思えるのかが私には理解できない。歴史上、ただ単に土地を侵略したらそんなに偉いのか?私には分からない。「今はそんな時代ではない。」そう言い切って、日本語を勉強し、ビジネスチャンスにつなげていこうとする韓国の青年の言い方がかっこいい。今生きているのは自分。過去を受容しながら、自分の人生にプラスをしてゆくにはどうしたらいいか?それが分かっているからこういう発言ができるのだと思う。
「よそ者に厳しい」それは常々感じていた。日本国籍でないと、家を借りることもできない、日本で生まれ育っても選挙権もない(納税の義務はあり)、公務員になることができない。例を挙げたらきりがない。その根拠はない。ただ単に、「日本人でない人はダメ。」ってことだけだと思う。
私は約3年間、カナダに住んでいた。その間、何度か引っ越しをし、病院に行ったり、地域の活動に参加したり、もちろん学校にも行った。その中で、 「外国人だから」といって差別されているという感覚はなかった。そもそも「外国人」という概念を恥じた。
私に初めてできた友達は、スコットというにいちゃんで、私より6つ年上で、語学学校の世話人のようなことをしていた。スコットはちっともしゃべらない私を案じて、まず、自分の家に連れていってくれた。そこにはお父さんのポールとお母さんのマリアンがいた。彼らはとても話好きで、英語のできない私とも、ごく普通にテレビの話や、スポーツの話をしてくれた。だんだん仲良くなるにつれ、「なれそめ」を話してくれた。
何でも、ポールはイギリス空軍におり、カナダに駐在したときに、ドイツから移民した2世のマリアンに一目惚れ、イギリス空軍を辞め、愛車のビートルを持ってイギリスからカナダにやってきたそうだ。
その息子、スコットの兄、とスコットは現在どちらもヨメがおり日本人である。それを考えると、スコットと兄はイギリス人とドイツ人のハーフである。その子孫は、カナダ人、イギリス人、ドイツ人、日本人の血が混じっていることになる。そのような環境で、「外国人」という概念は無意味ではないか?
皆が2カ国語以上をあやつり、あるがまま、人を受け入れる。それで何も不都合はない。
ただ、その文化に入ってゆくには「自分を見せること」が必要だと感じた。自分をさらけ出すこと。何で留学をしているのか。何に興味を持っているのか。何をしたいのか。それを明確に示せないと興味を示してくれない。
家を借りる場合でも、日本なら、お金をもって不動産屋に行ってハンコを押せばOKだが、向こうではそうは行かない。まず、家主さんと会い、とことん話をする。生活時間帯について、生活に何が必要か、そういったことを話し合った末に、家を貸してくれる。勿論お金は要るが、一ヶ月分を補償金として払うだけで、出るときには全額返してくれる。つまり、「信じ合えること」が家を貸す条件なのだと思った。そこに外国人だからどーのこーのはない。逆に「私の国に学びに来てくれてようこそ」というような感情があることを感じることもよくある。
「安いけど、こんなん、走ってていきなりつぶれたらコワイわ。」韓国の現代自動車の新聞広告をみて、会社のおっちゃんが言った。
つぶれるかいな。そんなもん。現代自動車のクルマは全世界の自動車会社で生産台数かなり上位だ。ホンダは北米で強いと言われているが、それでもまだ、現代自動車の方がシェアは上だと私は感じた。手頃なゲタクルマがよく普及している。年間1-2万キロ走行するのが当たり前の国でシェアの高いクルマが、平均的日本人の使い方でいきなりつぶれるというのは考えにくい。要は、根拠のない優越感から韓国の自動車を卑下しているのだ。
そういう考えを捨て、自分なりの考え方を持たないと日本が堕ちて行くのは必死だと思っている。好きでもキライでもいい。意志を示すこと。たったそれだけのことができない人が日本人には多い。
何もかも外国が優れていると言う気はないが、今の日本人気質はあまりにも個人の気配が薄い。息を潜めて死ぬまで生き続けるそれだけを求めている。
くだらないので、逝ってヨシ!私は日々そう思い、「変な日本人」として日々生きている。
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