子犬日記
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2004年11月10日(水) |
プルートゥ、その後。 |
狛太郎は、本を読みおわってからも何度も読み返す。 とくに漫画の場合はそれが顕著だ。 今回の『プルートゥ』も、二日三日のあいだ幾度も反芻していた。 ころあいを見計らって、感想は? というと、 彼は、ため息をついてからつぶやいた。 「ひどい話だね。でもすごくおもしろい。どうなるのかわくわくする」 そういって、最終ページを示した。 ひどいって何が? と犬が尋ねると、 「ロボットが何人も死んじゃって、かわいそう」だという。
あの漫画で描かれているのは、事故による機械の「機能停止」ではなく、 豊かな個性を襲う暴力的な「死」だ。 シリアスな死を含む物語を読むのは初めての彼には、 そこが強く感じられたのだろう。 レクター博士のように幽閉された殺人ロボット、ブラウに刺さった槍が 誰にも抜けない理由は、よくわからなかったようだ。 根源的に理解できないものに対する人間の恐れと忌避感情は、 まだ理解できないのだろうか。 ロボットが結婚するのも不思議だったらしい。 実は犬も、この漫画の読み始めは、その設定になじめなかった。 むかし、テレビでアトムを見ていた頃には、 ロボットにも家族がいてもふしぎはないと、 違和感なくアトムの世界観を受け入れていたはずなのに。 翻訳SFの使役―召使ロボットを知っている今では、 便利な機械としての側面ばかりが意識にこびりついて、 人間の真似をしている様子が不自然に思えてしかたがない。 まあ、ゆっくり読んでいるうちにそのあたりのわだかまりはほぐれてきて、 昔の感覚を噛むように味わう余裕も出てきたのだが。
狛太郎はアトムの洗礼を受ける前に、 ハリウッド映画のロボットに親しんできた。 『ターミネーター』の殺人アンドロイドも、『アイ、ロボット』のサニーも、 それなりに人間臭くはあるが、結婚とははるかに隔たったところにいる。 単性増殖を繰り返すアメーバに似た『マトリックス』のエージェントたちも、 彼にしてみればロボットのようなものなのだろう。 彼が観た中で唯一、家族の中のロボットを描いていた映画は『A.I.』だが、 小さい子供には生涯トラウマになりそうな場面の連続で(汗) アレックスがかわいそうだと半べそをかく彼を つよく抱いて慰めなくてはならなかった。
長くなったが、2巻を待とう。 読ませて反応を見るのが楽しみだな。ははは(殴)
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