みかんのつぶつぶ
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2002年10月23日(水) 泣き兎

今日友人との会話のなかに終末医療についての話題がでた。そんな話しにも応じてくれる気持ちがありがたいと思った。

もう治療をすることができないという時がきたとき、患者・医者・家族の三者に同じゴールが見えることになる。死というゴールだ。治療の段階では医者と患者では認識や知識の違いで目指すゴールは違ったものになることもしばしばだろう。しかし終末期と医者が診断した時点から、みな同じ最終地点を意識することになる。でも、その過程をどう過ごすかということになると、また新たな判断を要求されることになる。患者本人の意識がはっきりしていたら確認をするのだろうか。それとも告知できずに家族と医者で判断するのだろうか。どちらにしてもその家族に判断が委ねられることには変わりない。果たしてどれだけの家族がそのときに正常な精神を保ち冷静な判断ができるのだろうか。そういうときに、医者の知識と経験を生かしたアドバイスがどれだけ助けになるか、医者は理解しているだろうか。患者にはもちろんのことだが、家族と顔をあわせ会話する時間をそれまで以上に多くして欲しいと思う。

息子が来ると聞いて泣いた彼は、息子が目の前に現われた時には無反応になっていた。目は開いている。だが、いくら話しかけても反応をしない。息子に視線を向けているのに言葉も出ない、表情も動かない状態になっていた。そんな彼の状態は、果たしてどういうことなのだろうか。いまだにわからない。目が見えなかったのか。意識が朦朧としていたのか。それとも、涙をこらえるのに必死だったのか。
無言で3人、しばらく時を過ごすだけの病室。息子が、父親の起き上がっている姿を見たのは、あの日が最期になってしまった。会話は、できなかった。

見送らなくていいという息子を待たせて、彼を車椅子に乗せる。玄関を出たところで息子の背中を見送る。彼とふたり、遠のく息子の姿を見つめていた。すると彼が、息子が去った方向を指差し、何かつぶやいている。私は彼の顔に耳を近づけた。

「あっちにいった」

もうすでに持ち上がらない両腕。かすかに右手の指先だけが動く状態のなかで、人差し指をそっと伸ばし、息子が行った先を指した。そして小さい小さい声。

私は、じゃああっちに行ってみようかと、バス通りに面している門まで、息子がいま歩いた道を進んだ。車椅子に座る彼の頭には、黒々と髪の毛が生えてきていた。抗がん剤による脱毛でしばらく生えてこなかったのに。細胞は、ちゃんと再生されている証しなのだ。それが、とても悲しかった。
通りまでくると、息子が乗ったであろうバスが通過するところだった。車内に目をやると、入口付近に立つ息子の影が見えた。あのバスに乗って帰ったよ、と彼の耳元に囁く。彼は、わかったのかわからなかったのか、返事はなかった。

後日、父親に北海道の土産だといって息子が差し出した箱には「泣き兎」と印刷されていた。箱を開けると、手のひらにおさまる木彫りの両耳を後ろに垂らした兎がちょこんと入っていた。あまりの可愛さに、涙が出た。直接病室へ届ければ、という私の言葉に息子は曇った顔で首を横に振った。息子の気持ちが、痛いほどわかるから、それ以上は何も言うことができなかった。

彼の右手のひらに、その兎を握らせてみる。だが、彼には持ち上げて目の前に持っていくことも、だからといって右手のひらを見るために首を動かすことも、もうできなかった。わかっていたけれど、意識が少しでもハッキリするのではないかと思い、握らせる。少し彼の視線が動く。彼の右手を持ち上げて、お土産だってよ、と声をかける。返事も反応もなかったけれど、きっと彼にはわかっていたと思うんだ。

だが、息子には可哀想なことをした。修学旅行中に危篤となった場合を考えて会いに来させた。だが、父親が自分を認識できていない様子を見たショックは、きっとあったはずに違いない。無表情に隠した悲しみ。

私は、一体どうしたらよかったのだろう・・・

私は、病は気から、という言葉を使用するのは控えるようになった。あまりにも無責任な響きのような気がして。明るい気分でいれば病気にならないのだろうか?楽しくしていれば病気は治るのだろうか?虚しくなるばかりだ。








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