りとるのひとりごと。
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2002年04月17日(水) 棚卸し〜中学編その1

本日、父と実家にて話し合い。
といっても話し合いらしい話し合いとはいえず・・。
父は私が実家に帰ってくることを了承した。
年内にはあちこち傷んでいるところをリフォームするという。
来年には弟も卒業するのでお金も浮くらしい。

どうしよう。

また年内引っ越しか????

考えよう、ひたすら考えよう・・。


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小学生時代の私は至って平和だった・・と思う。
小5から眼鏡をかけだして、たまにからかわれることもあったが
たいしたことはなかった。
それよりも学年一嫌われ者だった女子に気に入られてしまったのが
悩みのタネだった。

彼女が嫌われた最大の理由は「汚い」ことだった。

今で言う「汚ギャル」だったのだ。

とにかく臭くてたまらない。

なのに私はいつも彼女のお目付役だった。

一緒のグループ、席も前後、私は何かと一緒にされて苦痛だった。

それも中学に入れば、たいした悩みでなかったことが分かる。


中学時代は苦痛そのものだった。

家にいれば父の愛人の嫌がらせ。
学校に行けばクラス単位でのイジメにあった。

多分私がイジメにあった理由は「暗い」からだったと思う。

おとなしかった。

休み時間は本を読むか、マンガを描くかしていた。

その頃の将来の夢は漫画家か小説家だった。

私のマンガを読んでくれる数人の友人を除いて、みな私を攻撃した。

一生懸命描いていたマンガのノートは、いつも酷い落書きをされた。
いくら消しても消えない、卑猥で下品な落書きばかり。
でも私はいつも無言で消しゴムをかけた。泣かなかった。

私の席の周りはいつも大きく開いていた。

周りの子がみな自分の机を私からなるべく遠ざけるのだ。

私が歩くと、みな蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。

出入り口で偶然すれ違ってしまった男子は「オエッ、気持ちわりい」と
吐く真似をして逃げていった。

私は苦しみのあまり、授業中に過呼吸になったりした。

先生は見て見ぬふりをした。

しかし私は学校へ行き続けた。
こんなことで休んで授業についていけなくなったら、私自身が
苦労するだけなのだ。

日々の苦しみを、私は生活ノートに書きつづったことがある。
生活ノートとは、先生との交換日記みたいなものだ。
毎朝集められ、帰りに返される。

一度、そのノートが帰りのHRで先生に読まれたことがあった。

イジメの実態をつづり「どうかやめて欲しい」・・私の心の叫びだった。

先生は読み上げた後、みんなに意見を求めた。

みんなの反応は冷たいものだった。

「先生に言わず当人に言えばいい」
「陰でコソコソ先生にチクってる」

クラスメートから冷たい視線を一身に受け、絶えられなくなった私は
机に突っ伏してワアワア泣いた。

初めて泣いた。

誰もそばに寄ってこなかった。先生も。



イジメはさらにエスカレートしていった。

私は学校へ行き続けた。



あれから長い年月がたった。

だが私の心の痛みは消えていない。

去年、同窓会があった。

みな、楽しいことしか覚えていないらしい。

「つき合ってくれませんか」なんて言ってくる男までいた。

あんた、私を気持ち悪いって避けていたくせに。バーカ。


今なら、今の私なら闘えたかもしれない。
でもあの頃の私は強くなかった。闘えなかった。

あの頃の私には、力を蓄えられる場所がなかった。


よく死ななかったよ、偉いぞ。私。


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