日記のネタはいろいろとあるのだが、頭がうまく働かないので何となく去年の日記を読み返してみた。
醜悪で極悪であまりにも稚拙な文章がそこにはあったが、あのとき確かに俺は垂れ流していた。あふれ出す感情が俺という入れ物の中に溜まっていた。
おそらく、今の俺が捻り出す高尚な言葉よりも重いのだ。なぜなら、今の俺には念のこもった言葉を吐き出すだけのバックボーンがないからだ。俺の言葉は年月を重ねて上手くなったが、軽くなった。鶏の卵のようにルーティーンの作業で簡単に生み出される。
やむにやまれぬ、書かずにはいられないやり場の無い感情はもうない。あるいは、あれが十代の煌きだったのだろうか。
しかし、まだ可能なはずなのだ。やりさえすれば可能なはずなのだ。それが何なのか未だ解らずとも、求める何かがあるのならやり続けなければならないのだ。
だから、俺は単車に乗る。
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