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2009年08月29日(土) |
<2001年8月1日>
今までありがとうございました。 お礼と感謝の気持ちは、どのように表せば 良いのだろうと考えたのは、5月頃、 初めて‘退院’を意識した時です。 次々と周囲の人々が退院していくのを見て、 私の場合と重ねてみて想像してきました。 ほとんどの場合が、あっさりとした 笑顔での退院で、私にとっては信じられませんでした。
入院を必然的ではないにしても、 出会いと考えるのなら、退院は別れであって、 出会いに伴う不可避の事です。 私は別れが大嫌いです。 別れの悲しみを味わうくらいなら、 出会わなければ良かったのにと、 いつも思ってしまいます。
それはただ、変化を恐れ、 信頼できる安定性を いつまでも求めてしまうという 弱い心の現れだと思います。
退院は別れではなくて、 新しい始まりであると 分かっているはずなのに…。
喜んで退院していく人々は、 ちゃんと本当の居場所が分かっていて、 未来の幸せを確信できて いるんだろうなぁと思います。
私には、自分の幸せが 一体何なのかさえ分かりません。
約1年間の入院生活中、 自分の病気が良くなることを 幸せに思って願った事なんて あまりなかったように思います。
それよりも、他人に対して働きかけることのできない 自分の無力さを責めてばかりいました。
他人を幸せにする事のできる力が 発揮される居場所を探し求めてきました。
そこにいる自分が、一番、 幸せに思えるのではないのかなぁと思います。
そう思うと、病気である限り、 どこにいようが、そこは、 私の望む場所ではなく、 幸せにはなれないような気がします。
だから、人は、みんな 病気が良くなる事を願うのかなぁと思いました。
けれど、病気イコール不幸だとは思いません。
確かに病気になって自分を疫病神のように 思った事は何度もあります。 何のために生きているのか、 生きている意味なんてないのではないのかと思いました。
それでも、私は、他の患者さんが、 一生懸命、自分の病気と向き合って、 がんばって生きている姿を見て、 たくさん励まされてきました。
病気だから他人に対して何もできない というわけでは決してないのだなぁと思いました。
病気であっても、完全に無力になるのではなくて、
<2001年8月5日>
病気になってから失ったものは数多くありますが、 その中でも、失った時の悲しみが最も大きくて、 今、その価値観を最も深く考えさせられているものは、 ‘心からの笑顔’です。
最近、悩んだり落ち込んだりして、 笑っている自分と出会う事が 少なくなってしまいました。
それでも、他人と話している時の私は、 心の中では泣いているはずなのに、 いつも笑おうとしています。
それは、心からの笑顔ではなくて、 表面的な笑顔にすぎません。
そんな自分に気づくたびに 複雑な気持ちになります。
Iさん(今は亡き入院仲間のおじさん)に、 私から笑顔を取ったら何も残らないぞ、 と言われました。
確かにそうかもしれません。 心から笑える事で他人を幸せにする事もできるし、 自分も幸せになれます。
けれど、病気になってから、 心からの笑顔がどんなものなのか 分からなくなってしまいました。
去年、学校へ行っていた時は、 症状に耐えながら、 ぶさいくな笑顔でも 必死に笑っていようと努めました。
その笑顔には、他人に病気である事を 知られないように、心配掛けまいとする 気持ちが込められていました。
本心を隠して笑っている事は、 とても辛いです。 特に私は、顔がひきつって、 思うように笑い顔すら作れなかったので…。
それでも、どんな笑顔でも、 笑っていさえすれば、 周りの人達は安心していてくれます。
いつの間にか、私は、 どんなに辛くても苦しくても、 笑っていさえすれば 他人を幸せにする事ができる という事を覚えました。
その事で病気にも勝てると思いました。
それは、ただ、私が、 病気に伴う苦痛を笑顔によって 消し去る努力をする事だけで 達成できる事です。
Iさんは、私の存在自体が 他人を幸せにできるのだと 言ってくれました。
でも、その私は、笑っていなくては 意味がないのです。
去年、症状に苦しみながらも、 笑っていられたおかげで、 私は友達と気まずくなる事もなく、 それまでの安定した関係を 保つ事ができました。
家庭においても、最後の最後まで、 誰一人として、私の病気に 気づく事もなく、通常通り、 生活していけました。
全て、私が笑っているという事で、 解決されました。
ただ、1人きりになって、 一気に泣き通していた時の 自己嫌悪感は手に負えないほど 大きくなっていきました。
次第に、日常生活や大学生活でも、 私の症状は笑顔では隠し切れないほど、 どうしようもできなくなっていきました。
駅や学校の階段で急に転げ落ちた時、 道路で自転車から倒れ込んだ時、 授業中の発表で声が続かなくなった時、 食事中に飲み込めなくてむせたり、 鼻から飲み物をこぼした時に、 どうして笑って済ませれるでしょうか。
だんだん周囲の反応が怖くなってきて、 笑う事さえできなくなり、 1人きりになれる居場所を求めて 逃げ回るようになりました。
1人きりになりたいと思う事、 逃げてしまう事、 それは、もはや他人に対して、 笑顔でいられないと 限界を感じた瞬間です。
その時の自分は疫病神的存在で、 他人を不幸にしてしまうのです。 実際に病気で苦しんだり、 泣いている私の姿を見た両親は、 取り乱し、怒ってケンカをしてしまいます。
私が笑っていれば、そんな事もなく、 平和でいられるのに…。
一番辛いと思ったのは、 去年の今日、友達が、私の家も知らないのに、 住所と地図を頼りに、暑い中、わざわざ
<2001年8月○日>
私は昔から、他人を通してしか、 自分を見る事のできない人間でした。
だから、この病気になって、 どんなに辛くても、 「大丈夫」と笑っていて、 それで相手が安心してくれるのなら、 私は満足でした。
自分を犠牲にしてでも、 相手の幸せを選ぶ生き方が、 私の理想でした。
私は自分のためだけにがんばる事が 苦手でした。 それはとても無意味な事だと 思っていました。
だから、入院してから、 一番の悩みは、 自分の体の回復のために、 ただ自分だけのために、 がんばっていけるかどうかでした。
他人のために、 他人の身代わりか何かであれば、 がんばって少しでも早く 良くなろうという気力が わいたのだと思います。
病気のため、他人に笑いかけることでさえ できなくなった時、私は、 何のために生きているのか分からなくなって、 何度も死にたいと思いました。
体が思うように動かせれなかったら、 他人の幸せを思う事すらできないだろうと思い、 そのような生き方は、私にとって、 生きがいを見出せないものでしたから。
倫理学の授業で、 「生きるに値しない生」というテーマで、 安楽死についてのドキュメントを観ました。
治る見込みのない筋肉の難病を患っている おじいさんが、動作や食事や発言が 日々困難になっていき、最後は、 おばあさんのもとで安楽に息を引き取る姿を 描いたものでした。
それを観ていて、そのおじいさんの症状が、 あまりにも自分とよく似ていたので、 私もこのまま放っておいたら、こうなるのかなと 不安になり、そうなったら私も 安楽死をしたいと思いました。
その時、私は、自分の体を 異常と認めながらも、 その事を他人に伝えようとも、 自分から病院へ行こうとも しませんでした。
自分が耐える事で他人に迷惑をかけずに済むのなら、 限界まで耐えてみようと思ったからです。
昔から、私は、かぜをひいても、 お母さんに言わず、 ひどくなってから知られて、 よく怒られていました。
この病気の場合も同じでした。
けれど、入院してからも、 この他人本位の考え方は 変わりませんでした。
私は、先生や看護婦さんに、 その時ごとの調子や心情を すべて素直に伝えた事は なかったと思います。
誰にも自分の病気の事で、 心配をかけたくなかったからです。
笑っていられる時は、 「大丈夫」と笑っていたかったからです。
その事について、学校の先生は、 「お医者さんや看護婦さんが、 患者を心配して励ます事は、 仕事として当然の事だから、 あなたはそれを素直に受け止めるべきだ。」 と言いました。
それでも、私は、 お医者さんや看護婦さんの笑顔が大好きで、 調子が悪い時の心配そうな顔を見るのは 辛くて哀しかったので、 自分に大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら、 「大丈夫」と笑っていようと努めてきました。
一番いいことは、自分の力で 元気になれる事ですが、 それが不可能な自分の無力さを いつも悔やんでいました。
自分から口を閉ざしていたにも関わらず、 体がどうしてもついていかない時は、 理解してもらいたいという葛藤で、 孤独を感じたり、一人で泣いたりしていました。
こんな時、不安や悩みを すべて打ち明けられる人を とてもうらやましく思いました。
それでも、入院して、少しずつ 変わりかけてきた事は、 毎日会うお母さんに 悩みを話せるようになった事です。
今までは両親にでさえ、 心配をかけまいと口を閉ざしてきました。
お母さんに話せるようになって、 少しずつ不安もなくなってきました。
友達にも病気の事を話せるようになり、 一人で抱え込んできた辛さが 少しずつ軽くなってきました。
それに伴って、体調も良くなって いったような気がしました。
だんだん病気を治していく事が 単に自分のためではなく、 自分を心配してくれる周囲の人達の 温かさに応える事でもある事に 気づいてきました。
自分のためだけにはがんばれない部分は 変わっていませんが、病気に対して、 自分だけが苦しんでいて不幸なんだという 考え方はなくなりました。
今後、大学へ復帰して、 一緒に学んできた友達とは違う 新たなメンバーと共に 一から出直して遅れを取り戻していく際に、 また弱気になって自分を責めずに、 入院中に得た強さを以て、 元気にがんばっていけたらいいなぁと 思っています。
入院して多くの人達と出会えて、 強くなれた自分を、とても嬉しく思います。
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