**Secret**..miho
--卒業式--10月5日(火)のDiary No.2
2004年10月16日(土)
卒業が半年間延びた学生たちの卒業式は9月30日と定められている。
それが、2004年度の場合、台風の影響で10月5日に延期になった。
実際に台風の勢力が最も強かったのは9月29日の夜までで、翌日には
台風一過の快晴となった。延期になってしまった10月5日と言えば、
雨のち晴れで、卒業式が行われた午前中は雨が降り頻る生憎の天気と
なってしまいました。延期なんかしなくても良かったのに・・・

卒業式は10時から学長事務室で行われる予定でした。
9時までに時間厳守で学生部に集合しなければならなかったので、
朝一からの授業の時と同じ時間帯に起きました。前夜は何だか緊張して
お腹が痛くて熟睡できなかったので、睡眠不足のまま家を出ました。
駅から大学へ向かう道は同じ大学の学生たちで賑わっていました。
一番年下の1年生で18歳かぁ…私より6歳も若いんだなぁ(^_^;)
それなのに私は今だに同じ道を歩いているなんて…変な感覚でした。
火曜日の1時間目と言えば、私のゼミの先生のハードな必修専攻科目。
この中にも、その講義を受ける後輩たちがいるんだろうなぁ(*'ー'*)♪
なんか私の世代よりも個性豊かなコギャルっぽい女の子が多いような…
先生も言っていたけれど、年々と普通科以外の高校から受験する学生が
増えてきているようです。昔は普通科卒のマジメな女の子か、同大学の
付属幼稚園、小学校、中学校、高等学校に通ってきた純お嬢様たちが
主流だったみたいだけど。。時代は流れ行くものです。

学生部に集合してみると、当初の予定通り、卒業仲間は6人でした。
そのうち1人は大学院を卒業される40代くらいのオバチャンで、あとは
同じ英文科の学生が2人、他学部と他学科の学生が2人いました。
もちろん私と同期の友達はいませんでした。他の学生たちは、きっと
特に英文科の人なんかは留学をしていて卒業が遅れたんだろうなぁ…
学生部の奥の事務室でガウンに着替えました。
すると、机の上にフッド(マント)が置いてあってビックリしました。
普通は卒業式の前にフッド授与式があって、それは卒業式以上に大変な
儀式だと言われているのに、それほど重要なフッドを簡単に渡されて、
着用する事ができるなんて…何だか悪いような気がしてしまいました。
その儀式では、卒業生が一斉に合図でバッとマントを装着するんだけど
私はそのやり方が分からなくて、1つ年下の人に教えてもらいました。
そのコもきっと半年前に同期の卒業式を見送ってあげたんだろうなぁ…
私はもう1年半前の話になるよ(*・_・*)ゞ今でもハッキリ覚えている。

着替え終わって、卒業式の司会者と共に簡単な予行演習をしました。
本当に簡単でした。宣誓を言って卒業証書を授与されて学長様のお話を
聞いて最後に記念撮影という流れ…あっという間の卒業式だぁ。。
そうそう、それと記念撮影の前に卒業生代表の謝辞がありました。
それは大学院を卒業されて修士を得られた方が述べられたのですが、
もしもその方がおられなかったら、学年的に最も古い学生である私が
謝辞を言わなくちゃいけなかったのだぁ(・Θ・;)
少人数とは言えども、畏まって人前で話すのは苦手だから良かったぁ…
その方は大学院とお仕事を両立させながら勉強されていたみたいです。
そのため、時間割が合わなくて、先生方に都合を合わせてもらったり、
色々お世話になられたそうです。先端医療について研究されたみたい。
もし私が謝辞を述べる事になっていたら、やっぱり自分の病気について
語らなくちゃいけなかったんだろうなぁ…絶対に泣いちゃいそう(>_<)

練習が終わり、みんなでゾロゾロと学長事務室へ向かいました。
大学内だからガウン姿でも平気で歩けるんだよね。外だったら怪しい…
学長事務室は綺麗なじゅうたんが敷かれていて、壁には美しい絵画が
飾られていて素敵な空間でした。雨で暗かったのが残念だったよ。。
私と院卒の方を除いた卒業生たちの保護者が6人も来られていました。
そのうちの2組は両親お揃いでした☆すごいなぁ。。
それから各学部、学科の代表の先生方も数人ほど出席されていました。
英文科では学科長が来ていたよ。文学専攻の先生だから私の事なんて
知らないだろうなぁ…私のゼミの先生は前に教務部長として出席された
事があったみたいです。以前その時の写真を見せてもらったのだ。
しばらくすると、学長様がお見えになりました。
こんなに間近でお会いした事は初めてだったので、緊張しちゃった。。
お母さんよりは明らかに年上なんだけど、気品があって清楚で美麗な
シスターでした。私の元ゼミの先生は同じシスターでも、それこそ
おちゃめでオバチャン丸出しだったから(・・。)ゞ

宣誓の時に皆の声が詰まってしまっても、全く動じずに微笑みの表情を
保ち続けられていて、モナ リザみたいに素敵な女性に見えました。
卒業証書の授与において、通常の卒業式では最初の学生のみが全文を
読み上げられ、それ以降の学生たちは機械的に次々と学長様から証書を
手渡しされる事になっているけれど、今回は6人だけだったので全員の
証書をそれぞれ丁寧に読み上げて、優しく微笑みかけて下さいました。
私も、学長様の前まで歩み寄り、真正面で向き合って「おめでとう」と
微笑みかけられた時に、笑顔で「ありがとうございます」と返して
証書を受け取り、キャップのフサを左から右へ移してから一礼をして
下がりました。すぐ左隣には学科長が見ていたのでドキドキでした。。
涙が出る瞬間だと思っていたけれど、笑顔の方が勝っていたみたい。
これで本当に卒業したんだなぁっていう歓喜の実感が込み上げました。
卒業証書は思っていたよりも小さかったなぁ…1年半前、親友が大事に
抱え込んでいた卒業証書はもっと大きく見えたんだけど・・・

学長様はお話の中で、本学では、各学部、学科による諸課程を修了して
様々な学問を学んで身に付けると同時に、最も大切で重きを置いている
事は「人格形成」であると主張されていました。
ただ勉学に勤しむ場所としての大学であるのならば、別に大学に限らず
どの学校でも構わないはずです。それが私の大学であった場合・・・
私にとって当初この大学は志望校ではなく、この大学へ通わなければ
ならなくなった時には、どれほど落胆と失望をした事だろうか。
でも、今なら…病気と共に生きている今なら、この大学に対して心から
「ありがとう」と言えます。ただ講義を受け、専門の学問について学び
4年間が過ぎ去り、卒業するだけの大学生活ならば、単に専門知識を
詰め込むだけで、人間的には何の成長もしていない事になってしまう…
学業だけの目的ならば中学・高校まででも専門学校でも十分だと思う。
そうではなくて、人間社会で生きていくための、複雑で矛盾だらけの
現実を生き抜いていくための価値観や人生観を養うための場所としての
大学が本来のあるべき姿だと思います。キリスト教の精神を重んじる
私の大学では、人間として他人は元より「ありのままの自分らしさ」を
大切にする事に対する様々な思索や哲学的思想に関する講義や活動も
数多く存在し、人間的な真の優しさや温もりに触れられる大学でした。
だから、病気になってしまってからも、途中で投げ出す事なく最後まで
頑張れたよ…たくさん励まされたよ…以前の私よりも大きくなれたよ…
これからも、私として私らしく生き続けていくよ…


ありがとう。




m a i l



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