**Secret**..miho
約束
2004年03月11日(木)
昨日は大学の卒業式でした。3月10日というキリのいい覚えやすい日付け…しかも、お父さんのバースデーの前日でもあって、この日を忘れるはずがありません。でも、やっぱり辛いよ…普通ならこの日は一生忘れられない記念日になるはずだけど、私にとっては年が巡るたびに甦る悪夢だよ。私がこの日に卒業する事はありません。例え9月のいつか、この日に代わる卒業という日が訪れたとしても、それは真の「卒業」なんかじゃない。フッド&ガウンを着用して、3月10日という定まった日に共に学んだ同志たちと同じ空間で卒業式という儀式を遂行しなければ正式には成り立たないのだ。きっと…私は宙ぶらりんのまま卒業を実感する事もなく卒業証書というただの紙切れを手にして大学を去る事になるでしょう。自分に「私は卒業したんだ」と納得させる事しかできなくて、誰とも喜びを分かち合えないままに…それが私の選んだ道だから妥協しなくちゃいけない事なんだけど、やっぱり辛いよ。

3月に入ってから去年と同様の心境である憂鬱さが心を騒がせた。そろそろ卒業式の練習が始まった頃かなぁ…かなりハードだというウワサは聞いていたけれど、実際はどんな感じなんだろう…私には測り知る事はできなかった。知ろうともしなかった。一切関わりたくなかったから…ただひたすら逃避する事ばかりを考えていました。友達にもずっと音信不通で「練習を頑張ってね」という一言さえ伝えられなかった。そして当日、卒業式の模様が放映されるローカルニュースさえ敢えて観ようとはしなかった。でも、昨日がポカポカ陽気になって、絶好の卒業式日和だなぁって心からほっとした事は真実だよ。友達に「おめでとう」メールも送ったよ。本当は綺麗な花束でも抱えて大学まで足を運んで友達を祝ってあげたかったんだけど、そこまでに踏み切る勇気が出なかったんだ…ばかみたいだよね。どうして素直になれないんだろう…もっと揺るぎない真の強さが欲しい…

昨夜、卒業式が行われた日の夜、今年もまた卒業式が終わったんだなぁと一息付いた瞬間に、心の中のモヤモヤが一気にあふれ出てきて、再びいつものどうしようもない罪悪感に襲われました。本当にこれで良かったの??本当に…そう何度も問い掛けて、必死で答えを探し求めてみたけれど、出てくるものは涙だけでした。いつまで同じ事を繰り返していくつもりなの??何が私のゴールなのかも分からなかったから、今までひたすら突っ走ってきたけれど、この手で掴み取ったものは何もないよ。走るしかなかったんだよね。結局は逃げていただけだから、得るものなんて何もないんだよ。朝に友達に送った「おめでとう」メールの返信が届きました。「ありがとう」と「頑張ってね」という言葉でした。そして「卒業後も暇な時には遊ぼうね」って…私は知っていました。去年も親友からこの言葉を聞いていて、実際に卒業してからはお互いに都合が合わなくて、ほとんど会えなかったという事を…私は、一緒に卒業できなかったという事が親友との距離を遠ざけ、そのため孤独な寂しさが生じてしまったのだと思っていました。でも、決してそうではないんだと信じたかった…そして今年もまた同じ言葉を聞き、その言葉に希望を託してみる事にしました。

その後、家に電話がかかってきました。高校時代から今でもずっとお世話になっている先生からでした。たぶん今日が私の大学の卒業式だと知っていて、思い出して電話してくれたんだろうなぁ…だいたい夏休みと春休みに電話をかけてきてくれて、いつも体調の安否を気遣って下さいます。入院中は、二度もお見舞いに来てくれました。そして、今回もまた会ってお話をする事になりました。その先生は高校時代に、まるで父親のように勉強の事から日常生活の事まで、あらゆる事に対して親身になってくれました。誰よりも私の事を…私の人格を理解して認めてくれていました。だから今でもこうして定期的に連絡をくれて、二人の関わりは途絶える事なく続いているのです。高校時代の私は、それこそ今以上に頑張り屋で、その努力を最初から細部まで近くでずっと見守って応援してくれていた人が、その先生だったのです。そう、私が病気になって予想外の大きな挫折をしてしまった時も、決して私を見放す事はなく、今まで通り変わらず私の心の支えでいてくれました。

私が今の大学で試験地獄を毎回必死で頑張って乗り越えてきた根底には、その先生との固い約束がありました。ただ優秀な成績を修めたいから…完璧主義な性格だから…そういう意味で今まで努力してきたのではありません。先生とある約束を交わしていたから…私はそれを使命として受け止め、必死で成し遂げてきたのです。この約束を果たせば、きっと報われるだろうと信じていたから…今からちょうど5年前、私は今の大学へ入学する事を決心しました。それは、必ずしも本望の決断ではありませんでした。当時はまだ自分が病気である事を知らず、晴天の霹靂のような挫折感に強いられての結論でした。その時に初めて、世の中には努力だけでは報われない事もあるのだという事を痛感しました。そんな私に先生は言いました…「この大学のレベルなら間違いなくお前はトップになれるだろう。いや、必ずトップの成績を修めて卒業せねばならん!!」と…全くの無謀だと思いました。もうこれ以上に余計なプレッシャーをかけないで…期待を持たれたらそれに応えなくちゃと頑張ってしまうから… 当時の私はもう「頑張る」という事に疲れて絶望していました。このまま落ちるところまで落ちて行けばいい…そう投げ遣りな気持ちでいたけれど、やっぱり心の奥では納得できないという突っ掛かりがあって、常に自分を苦しめていたのです。

大学へ入学し、病状はますます悪化していき、もはや限界状態となりました。やっぱりもう頑張る事なんてできないんだ…そして、最終的には入院する事になり、病気が判明して、主治医から「これからは頑張っちゃダメよ」と忠告されました。そう、もう頑張る必要なんて全然ないんだ。私はそれを先生に伝えました。「私は病気だから、もう頑張る事は無理なのです。」と、約束の撤回を求めたのです。先生の反応は意外にも深刻で、非難されるかと思っていたら逆に賛同して、「いい、いい!!もう無理なんてするな。卒業できればそれだけで十分じゃないか。」と…私は涙があふれ出てきました。でも、それは喜びの涙ではありませんでした。本当はきっと先生に「それでも頑張れ!」と言われたかったんだと思う…なぜならば、私には頑張る事しか取り柄がないから…そして、それを誰よりもよぉく知っているのは先生自身だったから…その先生から「頑張らなくても良い」と言われた事は、何だか逆に見放されたような気持ちになってしまってショックだったのです。やっぱり結局私は頑張るしかないんだ!!そして、意地でもその使命を果たす事ができたら、きっと何か答えが見つかるはずだと信じて、「頑張る事」に徹する事を決心しました。

そして、大学の授業に関しては、2月の段階で先生との約束をほぼ果たせたと確信しています。自分なりに精一杯に頑張った事は確かだから…でも、その事を昨日の電話で先生には伝えませんでした。まだ全てが終わっていないから…でも、その第一関門を突破した事は今度会った時にお話しようと思っています。もう今年度の卒業式は終わりました。今度大学へ行ったら、果たして私の居場所はあるのだろうか…ううん、私にとってはこれからが勝負だから、何が何でも一生懸命に頑張らなくちゃいけない!!私はまだ答えを見つけ出せていないから…まだまだ突っ走らなくちゃいけない!!ゴールが見えてきた時に、その先には運命の女神が微笑んでいる事を祈りながら…




m a i l



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