♡*フェイシャル コンプレックス♡ |
2003年05月16日(金) |
退院後、二度目の神経反復刺激検査を受けました。私の症状としては、まずは顔面の麻痺から始まり、次第に腕の脱力、足の脱力へと広がっていきました。入院中に受けた神経反復刺激検査は、三度とも顔と手足の神経を検査しました。そして、足の症状は一番早く良くなってきたので、退院後は、手と顔だけの検査になりました。やっぱり、最後に生じた症状が一番早期に治りやすいんだなぁと実感しました。
すると、次に良くなるのは手かなぁ?と思いながら、今回の検査の結果を楽しみにして待っていたところ、案の定、手の検査結果はかろうじて正常範囲内に入るようになりました。初めて検査結果として、病気が良くなっているという事を確認する事ができたので、とっても嬉しい気持ちでいっぱいになりました。これで再発さえしなければ、もう手と足の症状には悩まされなくて済むんだと思うと、信じられないほどの喜びが湧いてきました。良くなったと言っても脱力がなくなったというだけで、重怠い症状は今後もずっと続いていくのだろうけれど…。
これで、神経反復刺激検査において異状が現れる唯一の患部は、今のところ顔だけになりました。顔に違和感を感じるようになったのは、もう5年も前の事になるので、なかなかそう簡単には顔の症状は改善されていくはずはないとは自覚していたものの、検査結果として未だに異状が現れる事実を確認してしまうと、やっぱり落ち込んでしまうものです。足の脱力があれば歩く事ができない…手の脱力があれば物を持つ事ができない…それらに比べたら、顔が少々麻痺をして歪もうが、何にも困難な事はないじゃないかと思うかもしれないけれど…実際にその事で、生活に不自由はしていません。それならば、全然問題はないじゃないかと割り切る事ができたなら、どんなに気楽で幸せな事だろうか…。
「笑えない」…そもそも私のこの病気との付き合いは、そこから始まりました。心では満面の笑みをしているつもりなのに、他者から見たら、どうしてそんなに泣きそうな顔をしているの??となるのです。そこから誤解が生じてしまった事もあります。あなたはどうしてそんなに嬉しくなさそうな表情をしているの??と…。その症状は、しゃべり過ぎて疲れた後や、緊張した時に必ず現れました。次第に全身の易疲労性も現れ出したので、それに伴い顔の症状はどんどん進行していきました。
私は小さい頃から自分の事をブスだと思ってきたけれど、こんなにもひどいブスだったのかと再確認をして落胆しまうほどでした。一番症状が最悪だった時には、まぶたが垂れ下がってきて目は細くなり、もともと大きなほっぺも麻痺をしてさらに膨張し、口はかろうじて閉じていられるほどでした。そんな状態で笑顔をしたら、一体どんな表情になるでしょうか。自分では、無理をして頑張って笑おうとしているぎこちなさは十分に分かっていたけれど、他人の目には、そのような不自然な表情は一体どのように映り、一体どのような印象を受けるのだろうか…。
フェイシャルコンプレックス…だんだん自分の顔を見る他人の目が怖くなってきました。そして、鏡やガラスに写る自分の顔を見る事がとても怖くなってきました。今ではもう、自然にそれらの恐怖心から逃げようと体が作用してしまうようになってしまいました。周りは単に、私がとてもシャイだと思っているだけだけれど…ただ恥ずかしいという気持ちだけでは済まされない、とてつもなく巨大な恐怖心が私をそうさせているのです。人前に出るのが怖くて、ずっとうつむいている…誰かと話す時に、顔を上げて相手の目を見れない…笑う時に、無意識に手で口元をおおってしまう…鏡やガラスからは顔をそらす…写真は絶対に写らないようにしました。こんな顔をした自分を、思い出なんかに残したくなかったから…。
ひたすら、一人になれる場所を求めていました。学校では、トイレへ入っている時が一番安堵感で満たされました。顔面麻痺による恐怖から逃げるために、友達の輪から外れてトイレへ隠れ込んでいた時もありました。そんな孤独な生活をしていると、生きていく事すら苦痛に思えてきました。次第に手足の脱力が生じるようになり、物をいきなり不意に落としたり、階段や自転車から転げ落ちる事が多くなり、ますます生活が苦悩に満たされるようになっていきました。日常生活において、もう病気に伴うこの苦痛を感じないではいられない状態になってしまったのです。
そして最後は、究極の苦しみがとどめを刺しました。顔の症状において、最初は表情筋(表情を作るための筋肉)だけの症状だったのが、ついに、唇の筋肉、口蓋帆、咽喉の筋肉、咀嚼筋、呼吸筋の症状にまで及んできたのです。つまり、発声において、唇の筋肉がうまく動かせないために唇音(唇を使って発音する音。マ行、パ行、バ行)が発音できなくなり、また口蓋帆(鼻音と口音をと分ける器官)の筋肉も麻痺をして、口音なのに鼻へ空気が通って鼻音のような音になり、また咽喉の筋肉も弱ってきたために、食べ物が飲み込めなかったり液体が鼻へ逆流するという嚥下障害になり、また咀嚼筋も弱って食べ物が噛めなくなり、最後には呼吸筋にまで症状が現れて、体を動かすだけでも息苦しくなったりしていました。そうなると、まともに話をする事もできなくなり、ひたすら大きな口を広げてはぁはぁと必死に酸素を取り込んでいるだけになっていました。
体の脱力に加えて食事、発話、呼吸、すべてが困難になってしまった時、こんなにも苦しい思いをしてまで、もう生きている価値なんてないだろうなぁとやるせない思いで嘆き悲しみました。そして、常に願っていました。自分の部屋で、誰にも聞こえないような小声で心の中から叫んでいました。「死にたい…死にたい…誰か私を殺して…」と。よだれだけではなく、涙までも生理的に流れ落ちるようになりました。自分の体が自分ではコントロールできなくなり、まるで自分の体ではないように思えてきました。一体何者が私の体を容赦なくむしばんでいくのか…もう誰にもそれを止める事ができないのか…。
顔の症状には、このような恐ろしさが影を潜めているのです。現在の顔の症状は、一番ひどい時からしてはだいぶ治ってきたので、かろうじて初期の段階の表情筋だけの症状に留まっているけれど、いつここから再び悪化するのかはまだ分からない状態なのです。現に抗体値が上昇し続けている状態だから…。またかつての地獄が訪れる日が来るのか…それとも、手や足のように順調に治っていくのか…まだまだ分かりません。顔に関しては、発病してからが長いので、治りにくいという事もとても気掛かりです。もしかしたら、表情筋の症状だけは一生治らないかもしれません。もう二度と、本来の純粋な笑顔ではいられないかもしれません。
毎朝鏡で自分の顔を見ると、一目で今日の体調が分かります。目の細さや奥二重の具合、ほっぺの膨張の程度、口元の様子…。調子がまぁまぁいいなぁと思う日は、その日は一日明るい気分でいられるけれど、かなり悪いなぁと思う日は、外にも出たくなくなってしまい、気分も一日中ブルーです。日によって症状が違うので仕方のない事なのですが…。学校や街角や雑誌でかわいい女の子を見かけると、ついうらやましく見とれてしまいます。そして、最後は醜い自分の事を思い出し、それらの魅力からふと顔をそらしてうつむいてしまうのです。私は違う…私には絶対に無理だ…。ただ意地を張っているだけかもしれないけれど、自然とそのようになってしまうのです。
それでも、純粋な自分らしさを失いたくなかったから、最近では、どんなに醜くても笑顔をちゃんと相手に向けようと努めるようになりました。かつて逃げてばかりいた頃は、友達と一緒にいても自然に笑えず、おしゃべりもできず、友達の顔を見る事もできずに、友達にたくさん嫌な印象を与えてしまったので、もう同じ事は繰り返したくなかったのです。今できる事を頑張っていきたいから、笑顔から逃げない事もその一つだと思いました。今まで病気であるからと言って妥協をしてきた多くの事を、少しずつ再生していきたい…それが今の願いでもあり、今後への希望につながる事でもあります。常に前向きに…もう病気によって押しつぶされたくないから**自分らしく生きていこう。
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