Sun Set Days
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| 2003年10月08日(水) |
意味のない口癖をいくつか |
仕事が終わって部屋に帰ってくるのが大体22時半から23時になることが多いので、部屋で音楽を聴くときにはボリュームを絞るか、ヘッドホンで聴くことが多い。どちらかと言うと後者の方が多く、もう随分と昔に買ったヘッドホンでいまだに音楽を聴いている。僕がいま住んでいる3階建ての小さなマンションは小さな子供のいる家族ばかりみたいなので、騒音で迷惑にならないかと気になってしまうのだ。以前、上の階に住んでいる若奥さんと階段で会ったときに、上で子供たちがどたばたとうるさくないかしら? と言われたことがあった。そのときは気にならないですよと答えたし、実際日中は部屋にいないことが多いので気にならない。ただ、逆に、深夜にこっちがうるさくするのもなんだよなあと思っているのだ。小さな子供が夜中に目を覚ましたら面倒そうだし。
ただ、ヘッドホンで音楽を聴くのは嫌いじゃなくて、むしろ臨場感のようなものが感じられて結構好きだったりする。ずっとヘッドホンをしていると耳が痛くなってしまうのだけれど、それでも頭の中央で音が響き渡ってくるような感覚は音楽を染み込ませてくれるような気がして気持ちいいし。
イヤホンもヘッドホンと同じで、もう随分と昔ウォークマンで音楽を聴きながら散歩をしていたときにも、音楽が随分と近くに感じられたものだ。散歩はたいてい夜にすることが多かったのだけれど、たとえばいまの季節のような秋が深まり気温がぐんぐん下がっていくような時期には、耳に響いてくる音楽はより冷たく響いたものだ。たくさんの道を歩いているはずなのに、それぞれの街での散歩のことを思い返すときに決まって思い出される通りがいくつかあって、それは実家にいた頃の国道5号線沿いだったり、函館の産業道路沿いであったり、横浜のある駅までの道だったりする。そして、どちらかというと一人で散歩をしている映像のようなものを思い返すときには、それはやっぱり冬のような時期のことが多い。どうしてかはよくわからないのだけれど、まあいまがそういう季節だからなだけなのかもしれない。夏には夏の散歩のことを思い返すのだろうし、春には春の散歩のことを振り返ることになるのだろう。いまは秋だし、まあ秋や初冬の散歩のことを思い出してしまうというわけだ。
秋や初冬の散歩では僕は秋物のコートなんかの上着を羽織っていて、ポケットに手を入れて歩いている。喉が冷たくなって、吐く息が白くて、風がびゅうびゅうと強い。空には雲はほとんどなくて、ただ星や月が孤独にクリアに輝いている。街灯の明かりが等間隔に遠くまで続き、電線が何か大切な物を運んでいる役目を持っているかのように少しだけゆるくたわんで伸びている。バス停があって、コンビニがあって、道路には時々思い出したように車が走る。どこかの交差点で信号が赤から青に変わるから、それまで押さえられていた車が一気に連なってやってくるのだ。信号と言えば、どんなときでも世界中のどこかの街は朝を迎えていて、どんなときでも世界中のどこかの信号は青なのだということを途方に暮れたときにおまじないのように唱えてみるというのはどうだろうと思う。
自分のための意味のない口癖とか、おまじないのようなものをみんな持っているのかなと思う。もちろん、普段はみんなそんなことをおくびにも出さずに生きている。ちゃんとした大人のように、しっかりと仕事をしていたりする(まあ、僕もそうだと思うし)。けれども、誰もが、たとえば電車の中に乗っている誰もが、自分のためのちょっとした口癖のようなものを持っていたらいいのにと思う。そう考えてみると面白いし、そうであったらいいなと思う。ふとしたときに、願掛けのように呟いてしまうような言葉とか、メロディーとか、他愛のないものをみんな。 どうなのだろう? やっぱりあるのだろうな。
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お知らせ
最近はどんどん冷え込んでいて、まわりでは風邪をひいている人が続出なのです。
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