Sun Set Days
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最近忙しくて、ふと気が付くとカレンダーをめくるのを忘れていた。僕はいま2DKの部屋に住んでいて、ダイニング以外の2部屋を趣味の部屋と寝室というように分けている。そのうち、起きているうちのほとんどの時間を過ごしているのが趣味の部屋で、壁際に大きな机を置いていて、その机に座ったときに左前に見える位置にカレンダーをかけている。そのカレンダーがついさっきまで9月のままだったのだ。 あららと思った。忙しかったり余裕がなくなったりしているときには、普段当たり前のようにしていることを忘れてしまう。そしてそのことに気が付いたときに、自覚症状というか、自分の状態がそんなふうなところまで来ていたのかと思うのだ。 もちろん、そんなふうに書くとちょっとオーバーだけれど、最近ちょっと疲れていたのは事実だ。もちろん、基本的には元気だし、精神的にも肉体的にも深刻で困ってしまうようなところはほとんどない。けれども、ちょっとずつ疲労のようなものがたまってきていて、なんとなくいろいろなことがおっくうになっていたようなところはあるように思う。漠然とした疲れのようなものの膜に覆われているような感じとでも言うのだろうか。
それはちょっとどろどろしていて、ゼリーを薄く引き延ばしたような感じで、覆われたままでも全然平気だし、むしろそれがちょっと楽に感じられるときさえあったりする。けれどもそこがやっかいなところで、その膜の中で過ごす時間が長くなればなるほど、膜なしで活動することが億劫に思えてくるのだ。面倒で放棄したことたくさんのことを放置したままでも別にいいやと思えてしまうのだ。 もちろん、それは比喩的な意味だ。でもそんな感じだったような気がする。ぼんやりと気持ちよくて、けれどもいつまでもそんなものの中にいたらふやけて溶けてくるようなある種の膜。そういう膜は年に何回か(あるいは何年に一度)気が付くとものすごいところまで繁殖していて、たくさんのものを覆ってしまっている。そしてその膜をとるためには、ゆっくりとでも確実にじたばたとしなくちゃいけない。
もがくことはときにとても重要で唯一の方法であったりするのだ。もがくことでうまくいくのかどうかは別にしても。
とりあえず手を伸ばして、カレンダーを10月に変えてみた。こういうときには部屋が散らかっていたりもしているので、今度の休みには一日部屋に籠もって掃除をしようとも思う。それから数年ぶりに送られてきた昔の友人からのE-mailへの返事も書いて、熱いコーヒーでも飲もう。
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お知らせ
gooの「3Dウェブ検索」が面白そうでダウンロードしてみたのですが、アクセスが集中しているのか、うまく見ることができないのです。
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