Sun Set Days
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2003年06月11日(水) ある種の塀

 長い塀に落書きをしよう。
 手にはチョークを、あるいはペンキの付いた刷毛を持って、自由に言葉でもマークでも絵でも描いていいとしたら、いったい僕等は何を描くのだろう。へリングみたいなポップなアートか、子供たちの描く卒業制作みたいな集合イラストか、あるいは誰かの胸を打つ言葉のようなものでもいいかもしれない。

 それはきっととても長い塀で、自由に何かを描くことができるとしたら。

 とても長い塀だから、もしかすると村から街まで続く景色の絵だって描くことができるかもしれない。あるいは、左側で春が始まり、右側で冬が終わるそれぞれの季節の絵だって描くことができるかもしれない。世界中のすべての国々の人を、老若男女が集合している絵を描くこともできるかもしれない。世界中の様々な動物の絵や、様々な花の絵を描くことができるかもしれない。あるいは絵じゃなくて、1000人が大好きな人の名前を書いたり、好きな単語を描いたりしてもいいのかもしれない。

 たとえばひとつのアンケートをしてみたとしたら、いったいどんな結果が出るだろう。
 小学生に、中学生に、高校生に、大学生、それから社会人たちや主婦たち、老人たち。それぞれ1000人ずつ集めて、配られた用紙に好きな単語をひとつずつ書いてもらうのだ。世代毎に、いったいどんな言葉が上位にくるのだろうと結構真剣に思ってしまう。

 それは明るい言葉だろうか。それともあんまり明るくはない言葉だろうか。

 長い塀に落書きをしてもいいと言われたら、どうしたらいいかわからなくて、ただ無地の色のペンキで線を描くだけかもしれない。青とか、赤とか、黄色とか、そういう色をただ横にずっとまっすぐに引き延ばしていくだけ。
 けれども離れて見てみると、その無地の線は重なり合い虹のように見えるかもしれない。

 いずれにしても、そんなに長い塀なら、1人で何かをするのではなく、たくさんの人でどうにかする方が現実的だ。そして、たくさんの人の手によるものであればあるほど、複雑で意匠を凝らしたパッチワークや手織りのシルクの段通のように、一見ちぐはぐなように見えて、その実不思議な統一感や独特の雰囲気を醸し出すだろう。味わい深く、奥行きのある不可思議なイメージ。

 長い塀があったら、とぼんやりと考えてみる。そこにいったい何を描こうか? どんな絵や言葉を思いつくことができるだろうか?


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 お知らせ

 麦茶を飲むようになると、夏になりつつあるのだなと思いはじめます。


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