Sun Set Days
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2003年02月08日(土) いくつもの朝

 たとえばいまが夏で、小さな半島に旅行に来ているとしよう。
 山と海との間の狭い空間に張り付くようにして小さな町が広がっていて、その町にある古いホテルにでも泊まっているということにしよう。別段、観光地として有名なわけでもない、いま風のホテルなんかとてもないような場所だ。

 ホテルの1階には和風の居酒屋があって、結構年季が入っているのだけれど、出てくる料理は新鮮で美味しかったりする。となると、実際にはそれほど大きくはないお風呂は大浴場と名付けられているだろうし、そのウリでもあるはずの眺望は常に湯気で隠れてしまっているのだろう。けれど、湯加減はそう悪くないし、脱衣場に置かれているマッサージチェアも、壊れて「強」でしか動かなかったりするのも味があるといえば確かにそうで。

 そういう町への小旅行に出かけ、翌朝早く目が覚めたとしよう。カーテンを開けると、窓の外の景色には白く靄がかかっていて、世界はまだ随分と深い夢の中に沈みこんでいるみたいに見える。それから、浴衣から着替えて、散歩に出る。ホテルのロビーは照明が落とされていて薄暗く(入り口の近くにある彫刻も何かのメッセージを伝えようとしているみたいに怪しげに見える)、ただフロントではホテルマン&ウーマンたちがもうすでにチェックアウトの準備をしはじめている。へえとぼんやりと思う。こんな時間からホテルは動きはじめているんだなと。

 外の空気はつめたく、肌が湿って感じられる。太陽はまだ靄の向こう側にあって、夜の空気がまだところどころに浮ぶように残っている。ホテルの前の車通りのない海岸道路を渡って、海側の歩道のひしゃげたガードレールが遠くまで続いているのを確かめる。途中に見えるバス停の支柱が、おじぎをするように傾いているのが見える。それから、砂浜に下りるための小さなコンクリートの階段をおりる。それから、裸足にシューズで歩く砂浜の感覚をの心地よさを確かめてから、ゆっくりと歩きはじめる。

 砂浜といっても、実際には道路側には草も生えているし、結構大きな石が当たり前のように残ったりもしている。海の家はまだ扉を閉ざしていて、遠くの方には色とりどりのテントが密集しているのが目に入る。何人かがテントの近くを歩いていたり、海に向かって並んで座っていたり、町の人が犬を連れて散歩をしていたりする姿が見える。まだ随分と早い時間のはずなのに、海辺の町の朝は早いとあらためて思うかもしれない。

 身体の前で腕を組みながら、少し前かがみになるようにしてもくもくと歩き続ける。途中、振り返ると随分とホテルから離れてしまっているのがわかる。砂浜は思いがけず遠くまで続き、その間にも太陽は少しずつ朝靄をかきわけてきて、世界が少しずつ朝を迎えていく。

 朝になるたびに、世界は何度でも生まれ変わると言ったのは誰だったろう?
 その言葉をはじめて聞いたときには、正直うさんくさいなあとあまり信じてはいなかったのだけれど、それでもそういう光景の中に身を置いているときであれば、素直に信じることができるのかもしれない。朝を迎えるたびに、何かがきちんとリセットされていくようなあの感じ。普段はまだ眠っている時間に、そういう奇跡みたいなことが毎朝繰り返し行われているということ。世界の秘密みたいなものを垣間見ることができるような僅かな時間。

 昔知っていたある人は、自分が精神的にどうしようもなく落ち込んでしまったときには、無理をしてでも徹夜をするのだと話していた。そうして、朝になってから散歩に出て、朝の光の中に身を置いて、快復するのだと話していた。そこには、思い込みを超えたなんらかの力のようなものが確かにあるような気がするのだと話していた。

 安上がりだしね、とも。

 結構な年数を生きてきて、思い返してみると、本当の意味で朝の中に身を置いていた日々は、そう多くはないような気がする。散歩が好きだということとよく夜更かしをしていたことで、同年齢くらいの他の人よりはその回数は少しは多いかもしれない。けれども、基本的にはかなり少ない。驚いてしまうほどに。

 昔の人は朝の訪れと共に起きて、日が暮れるのと共に仕事の手をとめたと言われているけれど、そういう地点から考えると、随分と遠いところまできてしまっている。もちろん、それはある種の都市生活者や現代人が得たもののかわりに手放しつつあるもののひとつではあるのだろうし。それは必ずしも悪いことではないのだけれど、それでもいくつもの朝を知らないことは、随分ともったいないことなのかもしれないと思うことはある。

 ただし、現実や日々の生活というものはいつも朝の訪れをちゃんと確かめたり、その変化のなかに身を置いたりするわけにはいかないこともまた事実だ。だからこそ、バランスをとって、そういう時間をたまには得ることができるようリズムを工夫したり、そういう瞬間になったときに素直にそれを吸収することのできるような心持ちを心のどこかに持っておくことが重要であるような気がする。
 忙しくても、面白いことには笑えるように、きれいなものには素直に感動できるように。そういうある種の柔軟性やバランスのようなものを失わないことはきっととても大事なことなのだと思う。


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 お知らせ

「I Believe」はいい曲ですねえ。


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