Sun Set Days
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2003年02月05日(水) プリンアラモード

 ネットでニュースを見ていたら、さっぽろ雪まつりが5日から開催されると書かれていた。札幌生まれの札幌育ちとしては、もちろん幼い頃から何度も訪れたことがある雪まつりが。
 今年はアジアからの観光客が多く、国内からの観光客は不況を反映してなのか、それとも雪まつり自体のマンネリ感(雪像が毎年変わるだけ)を受けてなのか減少していると書かれてあった。確かにそうなのかもしれない。アジアの人たちの海外旅行はある種のブームになっているという話をどこかで聞いたことがあるし、北海道は京都と並んで人気のスポットだということも確か書かれていた。
 いずれにしても、今年も大通り公園やすすきのに、雪像や氷像が立ち並ぶ季節になったのだ。

 雪まつりには何度も行ったのに、どうしてか思い出すのはいつも小学校4年生だったときのことだ。
 その年は、なぜなのかよく覚えていないのだけれど、週末ではなく平日の午後に観に行くことにしていた。だから小学校が終わってから急いで家に帰り、それから母親に連れられて妹と一緒に列車に乗って札幌に向かった。列車の中は随分と混んでいて、「みんな雪まつりに行くんだね」とか、そんなはずはないのに高揚していたのかそんなふうに言っていたりしていた。
 札幌駅からは地下鉄に乗った。大通り公園までは一駅で着いてしまう。もちろん、歩けない距離ではなかったのだけれど(自分で札幌に行ったときには僕はたいていの場合歩いていたし)、それでも早く雪まつりを見たかったし親と一緒だったから地下鉄に乗った。地下鉄の中も混んでいて、「みんな雪祭りに行くんだね」という台詞は地下鉄の中での方がよりふさわしかったのかもしれない。

 雪まつり会場は大小の雪像とたくさんの人たちで溢れ、僕ら3人はどこか急ぎ足で雪像を見て回った。そこには明治時代の旧宅やお城の雪像があり、アニメの人気キャラクターの雪像があり、自衛隊が作ったものと、市民が作ったものがあった。夕方の急速に暗くなりはじめる空気の中、雪像の白は淡い紫から青へ、そして照明を反射して水色やオレンジともいえるような色へと変わっていく。
 随分と寒く、雪が散らつきはじめてさえいた。たくさんの人が耳かけ(本州の人は耳当てと呼ぶのがいまだにちょっと不思議だ)をして、マフラーをして、コートをしっかりと着込んでいた。まだ小学生だった僕はコートではなく、紺色のツナギを着ていたように思う。ツナギさえ着ていれば雪の中で転がっても大丈夫だ。それに温度によって色が変わったりするところがついているマジックテープつきの手袋をしたりする。小学校4年生にもなってそういうちょっとした遊びつきの手袋をまだしていたのかどうかは覚えていないけれど、それでもツナギと手袋があれば、北国の子供たちはなんだってできた。まだ誰も足跡をつけていない雪の上に両膝をついて、雪をかき集めてそれを一気に空に向かってぶちまけたり、雪合戦の雪玉を大量に作ったりもした。大の字になった跡をつけて殺人事件とちゃかしてみたりすることだってできた。雪は随分と近い存在だったし、冬には冬のたくさんの遊びがあった。

 大通り公園の雪像を見た後は、再び地下鉄に乗り今度はすすきのに向かった。すすきのでは雪まつりならぬ氷まつりが開催されていて、それもまたとてもきれいだったのだ。見た目の透明度や繊細さは氷まつりの方が上だった。すすきのの通りの中央に並ぶライトアップされた(そして周囲の華やかなネオンにも照らされた)氷像を見ながら、「うわー」とか「きれいだねー」とかの台詞を連発していた。いまでは割とよく喋る方だけれど、幼かった頃、僕は本当にいまよりもたくさん喋った。言葉は次から次へと溢れて止まらなかった。授業中にだってしょっちゅう喋っていた。だから、そのときもいろいろと感嘆の声を挙げていた。

 雪像も、氷像も、どちらも子供心にはとても愉しいものだったのだ。
 けれども、一番の楽しみはその後だった。雪まつりのときには、近くのデパートの最上階にあるレストラン街で食事をすることができたのだ。
 子供心に、街まで出るときの楽しみと言えばやっぱりそれだった。その雪まつりの夜も、僕らは最後には再び大通り公園まで戻ってきて、その近くにあるデパートの屋上に行った。そして、レストラン街を最初に一周してから、妹と相談して入る店を決めて、その店でハンバーグセットだとかそういうものと、プリンアラモードを頼んだ。パフェとプリンアラモードのどちらにするのかを店先のウィンドウでかなり真剣に(授業中にさえ見せないくらいの真摯さ)で悩み、結局プリンアラモードの方にした。
 
 不思議なもので、雪まつりの夜に食べたそのレストランのプリンアラモードのことをいまでも覚えている。もちろん、それは漠然としたイメージのようなものなのだけれど、あの横長のウィンドウに並んだメニューのサンプルと、中央にプリンがあって、その両側を生クリームやたくさんのフルーツがのっているプリンアラモードのイメージが残っている。

 それはきっと、それが幸福な記憶の断片だからなのだと思う。食べ終わってレストランを出たときには21時半とか、そういう時間になっていた。確かその翌日には寝坊をしたはずだった。帰りの列車では歩き疲れたのかもう結構眠たくて、座りながら少しうとうととしてしまっていた。

 ……雪まつりは毎年開催されていて、そのニュースを毎年聞くたびに、僕はどうしてかそのプリンアラモードを食べた年のことを思い出してしまう。ある種のイメージとして、雪まつりという言葉がそれと連動しているのだ。
 記憶を押すスイッチなんていくらでもある。何かが、心の中の柔らかな場所や硬い殻をやさしく、あるいは強く打つたびに何かの記憶が立ち上がる。過去を振り返り続けることはあまりよいことではないと言う人ももしかしたらいるのかもしれないけれど、それでも僕はそういうささやかな断片がたくさんあるほうが、折に触れてそういう記憶を思い返すことができる方が、いいんじゃないかと思う。記憶のストックがあればあるだけ、それこそ雪原を歩いていて振り返ったときに自分の足跡を確かめることができるのにも似たような、ちょっとだけ心細くてけれども安心できるような心持ちでいることができるような気がする。

 それはつまりは、こういうことだ。
 前には誰の足跡もないからちょっと不安だけれど、振り返って見るとそこは確実に自分の足跡が続いている。だから同じように、ちゃんと自分の足で歩いていけばいいんだなと思えるような感じ。歩いていたらもう一度あのプリンアラモードのような幸福に出逢うことができるのかもしれないし、いまはまだ知らないもっとすばらしいものに出逢えるのかもしれない。もちろん、雪の下には落とし穴が隠されているのかもしれない。けれども、落とし穴を畏れていたら、どこへだって歩いていくことはできない。それに、雪原はまだまだ続いているのだ。足跡もまだまだ残し続けていかなければならないのだ。だからこそプリンアラモードの記憶なんかが重要になるような気がする。そういうものがあるからこそ、落とし穴の可能性があっても歩いて行こうと思うことができる。そして、歩き出せることに、ちょっとだけ誇らしげな気持ちになる。

 プリンアラモードがこれからの人生にまだ何度かありますように。
 そう祈りながら、日々を歩いていこう。


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 お知らせ

 昨日のDaysで紹介した『猟奇的な彼女』ですが、ホームページのアドレスはこちらです。

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 猟奇的.comってちょっとすごいかも。


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