Sun Set Days
DiaryINDEXpastwill


2003年01月15日(水) 空想の距離

 今日は休日出勤をする。それはもちろんあんまりよいことではないのだけれど、どうしても手をつけたい仕事があったので行ってきたのだ。その仕事は日々の業務とは別にある程度時間をかけなければならないことのため(だからいままで放置されてきたらしい)、そういう定形外の時間の中でやってしまおうと思っていたのだ。たとえば、何でもそうだと思うのだけれど、一度仕組みなどが確立されて流れはじめてしまえば後はスムーズにいくようなことは、その最初のお膳立ての部分ではやっぱりある程度のパワーがいるような気がする。もちろん、本来であればそれを時間内にするためにどうすればいいのかを考えていくべきなのだということはわかっているのだけれど、それでも短期的に状況を好転させたいと思えばそこはやっぱり頑張りどころなのだろうし。

 やり終えてみて、面倒に見える仕事も、手をつけ始めたら後はやり終えるしかないので、四の五の言う前にまずはやりはじめてみるということは重要だと改めて思う(何度も何度もいつもそれは実感する)。終了後、小さいかもしれないけれど達成感も得ることができて、とりあえず満足。日々の仕事の中で、そういう小さなメリハリをバランスよくつけていくことが、モチベーションを維持する秘訣だよなと自己満足に過ぎなくても、ちょっとだけ思ってみたり。

 次は、あれをやろうとかあれをやってみたいとかいろいろあって、(自分を)どんどん追い込んでいるような気もするけれど。


―――――――――

 そして、現在は仕事にかなりの時間を割いているため(結構持ち帰っている仕事もあるし)、行き帰りの歩いている時間(15分ほど)は趣味に使っている。具体的に言うと、小説のことを考えるようにしている。歩きながら、いま推敲している『N43゜』のことや、新しい【Fragments】の内容なんかを考えているのだ。そういうのって、なんだか中学生の頃に戻ったみたいで変に懐かしい。

 というのも、中学生の頃、学校までの行きの15分ほど、いつも何らかの物語を考えながら歩いていたのだ。空想していたというか、妄想していたというか。まだ中学生だったこともあって、それらの話はとても拙くて、たとえばSF風だったり(未来の話で、アンドロイドと少年の友情物語とか)、歴史物語風だったりした(三國志に影響されていたのだ)。そういうやたらと長い物語を、毎朝毎朝晴れの日も、雨の日も、札幌だったから吹雪の日も、当たり前のように考えていたのだ(帰りは友達と一緒に帰っていたため、そういう空想はできなかった)。

 それがまた、全然飽きなかった。
 そして、自分のことながら気恥ずかしいのだけれど、たとえばそのSFの話では、人間の心を持ってしまったアンドロイドが、レーザーで打たれそうになる少年の命を助けるというクライマックスのシーンがあって、そのシーンを空想しながら、いつも自分で感動していた(ベタだなあ)。空想に入り込みやすいというか、根が単純なのだ、きっと(そして三つ子の魂百までという言葉の正しさを実感する今日この頃)。

 もちろん、そういういくつもの朝に考えていた物語の断片はいまはどこにも形となって残ってはいないけれど、それでもたとえばいま自分で文章を書くときに、何かを空想するときに、そのときのトーンのようなものが目立たなくても織り込まれているのだとは思う。

 偶然、いま歩いている時間も15分ほどで、あの頃とほとんど変わらない。習慣というものがもし身体に染み付いているのなら、歩いて15分という距離は、個人的には空想するのには適しているということになるのかもしれない。


―――――――――

 お知らせ

 ちなみに、次の【Fragments】のお題「ミルクティー」は、タイトルは「Over」という、人妻と大学生の話です。←予告。近日公開(?)。


Sun Set |MAILHomePage

My追加