Sun Set Days
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社内の研修に参加するために、1泊2日で出張に行ってきた。基本的にはいまの部署では出張はないので、珍しいといえば珍しい。 そして、今回宿泊したビジネスホテルが、随分前に出張生活をしていた頃に2度ほど宿泊したホテルと同じところだった。 正直な話、まさかそこに再び宿泊するときが来るなんて思ってもみなかったから、不思議な感じだった。今回は同僚数人と一緒にいたのだけれど、その駅で降りるのがはじめての同僚2人をホテルまで案内しながら、「よくこんな細い道知ってる」と言われながら、かつてそのビジネスホテルまでの細い道を歩いていたことをぼんやりと思い出していた。はじめて訪れたときには、自分だって少しだけ迷ったことも。
ホテルの部屋も、懐かしい感じがした。もちろん、ビジネスホテルなのだからそう変わり映えはしないのだけれど、それでも「ああ確かここはこんな感じの部屋だった」という感覚が蘇ってくる。カーテンを少し開けて窓の外を見ても、「ああ確かにこんな感じの景色だった」ともしかしたら錯覚かもしれない感覚を抱く。けれどもたぶんそれは錯覚じゃないと思い直す。かつて数日間に過ぎなくても、やっぱりその建物の窓の外の景色を眺めていたことがあったのだ。
記憶は随分と都合のよいもので、気がつくと夜に降る雪みたいに、いろいろなことを覆い隠してしまう。けれども、かつて起こった(見てきた)すべての出来事は雪の下にちゃんとあってなくなりはしないのだということを、ときどき実感するときがある。あるいは、記憶は大きく深い海のようなもので、過去はすべてその水の中に深く暗く溶け込んでいるようなものなのかもしれないと思う。そして、ときどき月の光が深いところまでを一筋の光で照らすように、ある種のきっかけで深いところに眠る記憶も照らされるのだ。そういうものなのだと考えてみる。だって、そうじゃないとその窓からの景色を見て懐かしさを感じることなんてありえないような気がするし。
それとも、それもすべて錯覚なのだろうか? 都合よく目の前の景色に感傷のフィルターをかけて、かつて知っていたはずの景色というフェイクの感覚を抱かせているのだろうか?
同僚たちと駅前の居酒屋で飲んでから(出張の夜にお酒を飲むのは定番と言えば定番)、ふたたびその部屋に帰ってきて、妙に大きなクーラーの暖房の音を聴きながら、やっぱりぼんやりと窓の外を見ていた。深夜0時を少しだけ回っていて、外は随分と暗く、静かだった。かつてこのホテルに泊まったときのことを、昨日までは思い出すことはなかったのに、そのときには結構クリアに思い返すことができた。それなのでやっぱり、記憶はなくなってしまうわけじゃないのだと、ただ意識されないところにしまわれているだけなのだと、そういうことをあらためて考えていた。 それから、翌日の朝に研修先で行われるテストの勉強をしながら、文章を暗記できたかどうか確かめている内に、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
実際のところ、記憶がすべてなくなるわけではないのか、かつて見てきたような記憶を合成してつくりあげてしまうのかはよくわからない。 けれども、記憶は夜の暗い海のようなものなのだとあらためて考えてみる。その海の水のすべては、これまで体験してきた様々な出来事が溶け込んでいるのだと考えてみる。 その水はときに甘く、そしてしょっぱく、それから、少しだけ苦かったりするのだろうか?
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お知らせ
そのビジネスホテルに泊まっていた頃には、よく椎名林檎を聴いていました。
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