Sun Set Days
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2002年12月12日(木) いくつもの部屋

 今日は休日だったのだけれど、22時過ぎから20人弱でボーリング。
 その後食事をして帰ってきたので、部屋に戻ってきたのは午前2時と少し過ぎ。
 わ、若い……。
 転勤が多いせいもあって、全国の様々な場所でボーリングをしているような気がするのだけれど、全然上達しないよ。
 大体100〜150の間ばかり。
 カーブを投げることができない(直球勝負)からだということはわかっているのだけれど。


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 今朝、ついこの間まで住んでいた部屋の駅で電車を降りたのだけれど(大体1時間くらい離れているから行けない距離じゃない)、なんだか不思議な感覚があった。つい10日ほど前まで当たり前のようにそこに住んで、暮らしていたのに、どうしてか薄く透明な壁に仕切られてしまったかのようによそよそしく感じられてしまうのだ。
 よく訪れていたセブンイレブンを見ても、なんだか新しい家族と一緒に暮らしている別れた母親を隠れて見に来ているみたいに感じられた。
 前に住んでいたマンションまでちょっと足を伸ばしてみた。
 僕の住んでいた部屋はまだ新しい借り手がいないらしく(まあ、当然だ)、入り口のところのポストには薄い緑色のビニールテープが貼られていて、郵便物等が届かないようにされていた。もうそれだけでも、そこに僕の住んでいたという痕跡を辿ることはむずかしくなってしまう。
 その帰り道で、ぼんやりと考えていたのは、いままで住んできた部屋のことだ。
 いまでは全然別の人が暮らしているそれぞれの街のそれぞれの部屋のあった建物を、こんなふうに見てみたいなと思ったのだ。
 大学時代の4年間暮らしたアパートから、いくつかのワンルームのアパートまで、それぞれの街でたくさんの朝と夜を迎えていたことの痕跡は、当たり前のように背後へと遠ざかってしまっている。もちろん、いろいろなことを思い出すことはできる。ある部屋に住んでいたときのことは、(手書きの)日記に残っていさえする。けれども、それでももういろいろなことを忘れてしまっている。
 その建物のところまで行けば、何かを思い出すことができるような気がする。
 いまは忘れてしまっている、他愛のない出来事なんかを。

 いつか、これはぼんやりと思うことなのだけれど、もっとずっと年をとってから、それまで自分が暮らしてきた部屋の近くを訪れる小旅行のようなものをしてみたいなと思う。もちろん、それは個人的な意味しか持ち得ないものだけれど。
 過去を振り返るというのとは少し違って、そのときの現状を明確にするためにも、そういうことはあってもいいような気がする。
 それぞれのアパートやマンションを訪れて、当時の自分とそのときの自分との間の距離を測る。いくつかの出来事が自分の中にある種の年輪のようなものをつけ続けてきたことを確かめてみる。ある部分では年輪は幅を狭めほとんどついていないことがわかるかもしれない。けれどもある部分では随分と変わっているところもあるのかもしれない。

 いずれにしても、もっとずっと年をとってから、そういう旅行をするのもありなのかもしれない。
 同じ本を読み返す年齢が違うと印象が異なるように、同じ場所を見るのでも年齢によって異なる感慨のようなものを抱くことができるかもしれない。


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