Sun Set Days
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2002年11月24日(日) |
変化+『マイノリティー・リポート』 |
たとえば、時間が進んでいることを実感するために、必要なことは何なのだろうと思う。 自分が年をとったということを実感するためのいくつかのこと。 しわが増えてきたとか(?)、 体力がなくなってきたとか、 記憶力が弱まってきたとか、 そういう内部的なことももちろんそうだろう。 それとは別に、環境的なこともあるのかもしれない。 たとえば、一番下っ端だったはずなのにいつのまにか後輩に指示を出しているとか、 友人の子供の写真がついた年賀状が送られてくることとか、 家族の数が変わっていくこととか、 本能的に変化を畏れる人とそれを積極的に受け容れる人とがいて、けれども変化は否応なく訪れてくるのでときどき戸惑ってしまうときがある。 率直に言って、変化を受け容れることはそんなに苦手じゃない。 随分と様々なことが変わってしまった、とちょっとだけ思うことがあっても、それはそれで現実として受け容れるべきだしその中でまたできることとしたいことをちゃんと把握しようと思うだけのことだ。 けれども、ときどき思う。変化の中には、そんな悠長なことを言ってられない、たとえば空から無数の星が降ってきて、ビルというビルを根こそぎ破壊してしまうような変化もあるのではないかということを。 空は地上から見上げている分にはとても美しいし奇麗だけれど、実際に降り注いできたら立っている大地が根底から揺り動かされてしまう。 遠くて美しく見えるのに、近付くと圧倒的な破壊力を持っているもの。 そういう変化もあるのではないかと思う。 もちろん、たとえ無数の星が降ろうとも、誰もがその圧倒的な破壊をよけながら、あるいは傷を負いながら乗り越えていかなければならないのも確かなことだ。 星は大地をえぐるように大きなクレーターをつくり、山をくりぬき、南極の氷を溶かす。 それでもなんとか耐え忍ばなければならないし、そうすることをやめてしまったらカタストロフィーものの映画に出てくる群衆のように、変化の最初の方で犠牲になってしまうのかもしれない。 もちろん、いまのところはそういう変化は起こってはいない。もっとずっと緩やかで、穏やかな変化の方が多い。時折、突風が吹きつけるような変化もあるけれど、それだってどうにか受け容れることができている。 変化。 きっとこれからもいろいろなことが(穏やかなものも、そうではないものも)起こるだろうけれど、しっかりとそれらを超えて行きたいなとは思う。
……少し前に、ある人から来た話なのだけれど、人生には3つの坂があるそうだ。 それは、「上り坂」と「下り坂」と「まさか」で、そういう坂に対するときにその人の人間性が出るのだとのこと。 なるほど、と思う。 なるほど。
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『マイノリティ・リポート』を観た。横浜にある相鉄ムービル。 先々行上映だったのだけれど、大きな劇場が結構埋まるほどで、期待度の高さが伺われた(特別プレゼントということで、ポスターのような1枚物のカレンダーを配っていた。貼らないのに……)。 ストーリーは、未来の世界では、3人の予知能力者の力によって、すべての殺人は発生する前に予知され、起こるはずだった殺人は特殊チームの活躍によって未然に防がれるようになっていた。それによって、危機的な数にまで増えていた殺人事件は激減していたのだ。 主人公であるジョンは、その予言を下に殺人を予防するチームのチーフだったが、ある日自分が数日後に見知らぬ人を殺すと予言される。追う立場だったのが、急遽追われることになるジョン。それを自らを陥れる罠だと思ったジョンは、「誰もでも逃げる」と、逃走を試みる。 チームの持つ武器や能力を知り尽くしているジョンは、かつての同僚に追われながらも寸でのところで逃げおおせ、逆に自らの無罪を立証するために情報を集めていく。けれども運命は皮肉にも、予知された状況へとジョンを追い詰めていく……
面白かった。夏くらいに、気の早い予告編を観たときから観たいなとずっと思っていて、いよいよ観ることができた。 映画はもうここまで来ているんだという感じ。スピルバーグが描く未来の世界は、現在の技術の進化の延長線上にあるのだろうなと違和感なく思えるようなものばかりで、誰もが瞳孔の光で識別されるような世界は嫌だなと思いつつも、観ていて引き込まれた。
たとえば、ジョンが勤務先からマンションに帰ってくるときには、ハイウエーから自分のマンションの壁際を上っていく車に乗っていて、マンションの窓に車が横付けされると、窓が開く。そして部屋の中に入ると、すべてのスイッチがついて、「ライト」と言うだけで蛍光灯のような明かりがつくようになっている。そして、コーンフレークは箱に印刷されている動物達が楽しげに動いて騒いでいたりする。パソコンに透明なプラスチックのような板を差し込むと、大型スクリーンに立体的なビデオカメラの映像が立ち上がってきたりもする。 あるいは、街を歩いていると、瞳孔で個人が識別され、街中の広告が自分の名前を呼びながら、購入を訴えてくるようなものになる。「ジョン、疲れを癒すために旅に出てはどう?」とか。そしてGAP(未来の!)に行くと、ホログラフィーの店員が「いらっしゃいませ! 先日買ったシャツはどうかしら?」というようなことを訊いてくる。 ありそうな未来だ。
だから、この映画はそういう未来予想図的な様々なギミックを見ているだけでも結構楽しい。途中で出てくる特殊な服に身を包んで個室に入ると、自分がハリウッドのスターになってたくさんの人の拍手喝采を得ていたり、女になっていたりする状態をバーチャルリアリティーで体験することのできる娯楽施設なんかもあったりするし。
2時間20分以上の長い映画だけれど、何が起こるのかをしっかりと見ておきたいと気の抜けないようなところがあって、引き込まれて観ていた。 トム・クルーズは相変わらずかっこいいし。
SF映画はついにここまできたということを観るためにも、ぜひ映画館で!
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お知らせ
週末に同僚たちとしゃぶしゃぶを食べに行ってきたのですが(食べ放題のところ)、やっぱりしゃぶしゃぶとかすき焼きとか焼肉はいいですね。
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