Sun Set Days
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2002年11月15日(金) 夫婦の通知表

 私のパパとママは、お互いの通知表を送りあっていた。春夏秋冬、季節の終わりに。学校に行っているわけでもないのに、わざわざお手製の通知表を作ってお互いに交換していたのだ。
 まだ小さかった頃、私はどうしてパパとママは通知表を渡すの? と訊ねたことがある。ただ単純に不思議だったのだ。私にとって通知表はあまりありがたいものではなくて、それほどよいイメージのものではなかった。だから、そんなものを大人になってまで交換するなんて、全然信じられなかったのだ。
「ママたちの通知表はね、ユカリちゃんのとはちょっと違うの」
 お菓子作りが趣味でいつも部屋の中で忙しそうに立ち働いていたママは、微笑みながらそう言った。
「どう違うの?」
 ともちろんまだ小さかった私は訊ねた。その頃の私はいろいろなことを訊ねていた。どうしてお空の雲はときどき雲や魚に似ているのか、どうして朝に雪をじっと見ていると目がしばしばするのか、どうして息は寒いときだけ白く見えるのか。それから、どうして手袋は暖かいのか、どうしてマフラーは暖かいのか、どうしてかまくらの中だと外より暖かいのか……とにかくいろいろなことを訊ねていた。ママやパパは私のそんなつたない質問に、丁寧に答えてくれた。
「そういうものなんだって最初から思わないことが大切なんだ」と眼鏡をかけたパパは言った。
「いつも見えているものをよく見てみるのね」と髪の長いママは言った。

 私はきっと愛されていた子供だったのだと思う。2人の目は、手は、それに愛情は、私のほうに注がれていたから。

 通知表の話に戻そう。
 まだ小さかった頃、私は一度ママの通知表を見せてもらったことがある。そこには、3つの枠しかなかった。

「家族のこと」

「2人のこと」

「自分のこと」

 そのそれぞれの枠に、パパの細い字がぎっしりと埋め尽くされていた。私はそのママの通知表が、パパによって書かれているのだということを理解した。内容はずっと忘れていたのだけれど、久しぶりに実家に帰ったときに荷物の整理をしているときに、偶然その通知表の束を見つけた。それは不思議な感覚だった。まるで偶然迷い込んだ森で、歴史的偉人の墓を見つけてしまったみたいだった。私は和室の畳の上にジーンズ姿のまま座り込んで、目の前に広げた通知表をゆっくりと広げてみた。

 通知表は、季節毎に違う色の紙に書かれていた。春はピンク色で、夏は青や緑、秋は赤や黄色やオレンジ、冬は白やグレー。サインペンに定規を当てて引いたような線が何本も引かれていた。そして一年分毎に紐で綴じられていた。私は紐をはずし、それからゆっくりと広げてみる。

 たとえば、通知表の1通にはこう書かれていた。




「家族のこと」

 この夏は、いつものように道東の海に行きました。いつものように温泉に入って、また夏が終わることを家族で確認することができました(星がとてもきれいでしたね)。来年も同じようにどこか別の海沿いを車を走らせながら、後ろの席で子鹿みたいに眠っているユカリをバックミラー越しに見つめながら、2人で小声で囁きあいましょう。また来たいねって。あなたはいつものように、あの言葉をまた囁くことでしょう。「もうこんな遠いところまで来てしまった」って。いつもの、毎年の、同じ台詞。
 本当に、随分と遠いところまで来てしまったと、今年もやっぱりそう思いました。けれども、もっとずっと遠くに行きましょう。この世の果てまで。はじまりの場所さえ思い出せないくらい遠くに。

 この夏もボクたち3人は合格点をつけられたと思います。誰も風邪も引かなかったし(ユカリはついに歯医者通いを始めましたが)、沈んだ表情はほとんどなく、会話と笑顔があったことでもありますし。


「2人のこと」

 この夏の喧嘩の回数は、9回。つまらない理由の喧嘩が6回に、まあ納得できる理由の喧嘩が2回、残り1回は深刻な喧嘩でした。今年の春には深刻な喧嘩は0回だったけれど、0記録はやっぱり2つの季節で途切れてしまったようです。ということは、だいたいいつも半年に1回は深刻な喧嘩をしているみたいです。
 でもこの夏も、ちゃんと仲直りをすることができました。次の季節もまあまた喧嘩をたくさんするでしょうが(平均値というのは結構当てになるものなのです)、その度にちゃんと後に残さずに(ボクたちの喧嘩のいいところは、遺恨を後に残さないところですから)、ちゃんと仲直りをしましょう。満身創痍で、ちゃんとぶつかり合った後で。
 ということで、こちらもまあ合格点をつけられると思います。これはまあいつものように、あなたがどう考えているのかを読むのが不安であり楽しみでもありますけどね。


「自分のこと」

 この夏にボクが新しくはじめたことは、(あなたもご存知のように)ユカリが6月のお祭りのときにすくった金魚(パール)の世話です。ボクはパールのことが随分と気に入って、毎日のように玄関の小さな水槽まで見に行きます。いまのところ、パールは元気です。うんちもちゃんと長いし。
 この夏にボクがやめたことは、1日に飲む缶コーヒーを2本から1本にしたことです。特に理由はないのですが、なんとなく減らそうと思い、それがよかったのか減らすことができています。
 また、会社で急遽必要になった資格を取るための勉強もはじめました(本当にいろいろなことが急に必要になる会社です)。全体で言えばまあぎりぎり合格点というところですね。秋に資格を取得することができれば、まあいい点をつけてもいいのでしょうが。




 そんな相手への手紙のような夫婦の通知表が、ずっと何年分もたくさんあった。私は随分と長い時間をかけてその通知表を読んで、同じものを何度も読み返して、部屋の中が薄暗くなりはじめる頃までずっとそこにいた。不思議な感じだった。あの優しいパパと幸福そうなママの間に、そういうやりとりがあったことを嬉しく感じると同時に、あらためて変わった人たちだとも思った。私はいまでは随分と現実的だと周りに言われるけれど、それはやっぱりああいう両親の元で大きくなったからなのかもしれない。

 けれど、夫婦で通知表を渡すという考えはいいかもしれないと思った。

 季節ごとに、自分たちの家族のことを、相手と自分のことを、そして自分自身のことをちゃんと振り返ること。それを言葉でちゃんと残すこと。

 さっそくいつもの部屋に帰ったら、一緒に暮らしているあいつに通知表をつきつけてやろうかしら、そう思って、私は思わず笑ってしまう。
 パパとママの真似をして、机に向かってこの夏の相手のことを思い返していたら、なんだか随分と幸福にさせてくれる相手と一緒にいるように思えてしまったからだ。
 いつもは憎まれ口ばかりを叩いているけれど、思い返してみるとなかなかどうして私はちゃんと幸せな相手と一緒にいるのだと、そんなふうに思えて、それはそれでやっぱり幸福なことだった。


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 お知らせ

『いつか記憶からこぼれおちるとしても』読了。江國香織著。朝日新聞社。
 96年や97年に書かれた連作短篇と書き下ろし短篇が収録された新刊です(!)。
 詳しくは、今度のDaysで。


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