Sun Set Days
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2002年10月31日(木) 夜の散歩+バス

 今日は部屋に帰ってきてから夜の散歩に出かけた。
 定番コースのひとつ、隣駅までの約25分ほどの道のり。
 途中に下り坂と上り坂があり、適度な距離という感じのコースだ。
 以前も書いたのだけれど、このコースは目的地(隣駅)に着いたときに疲れていたら電車に乗って帰ってくることができるので重宝しているのだ。それに、駅周辺にはいくつかの店舗(モスバーガーなど)があるので、そういう意味でも結構便利だったりする。
 途中、大きな交差点で2人乗りのスクーターが車とぶつかりそうになってクラクションを鳴らされていたり、物騒な感じでもあったのだけれど、とりあえずてくてく歩く。今日は散歩用バックではなく、少し大きめのウエストバックを腰に巻いて、それに文庫本を入れて歩いていた。

 風はそれほど強くはなかったけれど、気温はぐっと下がっていた。そういえば、北海道では雪が降ったという話をしていた。確かに、10月に一度少しだけ雪が降るのだった、
 あんまり北海道を離れて年月が経っているので、そういう冬の感覚を頭でしか追えなくなっているような気がして少しだけ残念に思う。それは本当にただ残念だという感じだ。自分のしっくりくるリズムが、少しずつ失われてしまうような気がしてしまうこと。
 これは、たとえば結構長い間付き合っていた人と別れたりしたときの感情に似ているのかもしれない。しっくりくるリズムが失われてしまい、それは悲しいことではあるのだけれど、そうじゃないリズムにもまた当たり前のように慣れてしまうというような感じに。
 確かに、いまでは関東の初冬のリズムにも、少しずつ、というかすっかり慣れてしまっているような気がするわけだし。

 目的地の隣駅に着いて、夜ご飯を食べていなかったので駅前にあるなか卯に入る。ファストフード大臣の異名をとる僕としては(?)、なか卯の親子丼はたまに無性に食べたくなるのだ(おいしい)。
 そして、食べ終わって、店から出て、電車で帰ろうかなと思う。
 けれども、ちょっとだけ考えて、駅前のバス停をチェックしてみる。たぶんあるだろうなと思っていたのだけれど、やっぱり僕の最寄駅行きのバス路線があって、普段とは気分を変えてバスで帰ってみることにする。
 22時4分の次は22時33分で、そのときは22時20分だった。バスを待つ間、バス停前のベンチに座って、ウエストバックから文庫本を取り出して読み始める。

 文庫本を読んでいたら、隣にやってきた初老の夫人に、「○○駅行きの最終バスはまだありますか?」と尋ねられる。「ええ、33分にまだきますよ」と答える。この1週間で本を読んでいるときに何かを見知らぬ人に尋ねられるのは2度目。暇そうに見えるのだろうか?

 しばらくするとバス回しにバスがやってきて、乗り込む。バスは、5人ほどの乗客を乗せてバスは走り出す。もっとたくさんの人が乗るのかと思っていたのだけれど、電車で行った方が早いからか、そんな人数でバスは発車する。

 バスに乗るのはなんだかものすごく久しぶりのような気がした。窓から外を見ながら、さっき歩いてきた散歩コースを逆送していくのを目で確かめる。
 そして、ふいにああと思った。
 いまの部屋に引っ越してきたのは昨年の1月だったから、もうすぐ約2年になる。そして、この隣駅までの散歩だってかなりの数行っている。それでも、こうやってバスに乗って帰ってくるのは今回がはじめてだったのだ。そう考えると、日々は本当にかなり限定された行動パターンに拠っているのだなとあらためて思わされた。
 たとえば、朝起きてから部屋を出るまでの行動の7割くらいはルーチン行動と言うことができるかもしれない。そこから会社に行くまでのコースだって、たとえば駅で電車を待っている場所や乗り込む車両など、だいたい同じことが多いような気がする。その方が考えずに行動することができるし、効率だっていい。世界の中にはたくさんの道があって、いくらでもコースはあるのに、それでもほぼ同じ線の繰り返しになっているということなのかもしれない。

 もちろん、それは悪いことじゃないし、そういうものだとも思う。
 ただ、だからこそ、散歩でそういうルーチンの枠を逸脱してみることもおもしろいのかもしれない。意識しないとそれはたぶんできないことだから、たまには意識して異なる道を選んで。

 たとえば半径1キロ以内と限定しても、部屋の近くでも、一度も通ったことのない路地は結構多いかもしれない。意識して、そういう路地を歩くことも、たまにはあってもいいかもしれない。もちろん、なくたっていい。けれども、そういうのも新鮮な発見のようなものがあるのかもしれない。

 そのバスは乗り込むときに定額を支払うものだったのだけれど、降りるときに支払うと思っていたので、支払わずに席に座っていた。そして、途中のバス停から乗り込んだ人が最初にお金を支払うのを見て、慌てて支払いに行く。運転手さんも言ってくれればいいのに。

 バスは僕の最寄の駅に少しずつ近づいていた。
 僕は駅まで行くより、終点のひとつ手前のバス停で降りるのがベストだなと思い、バス停の名前がわからなかったので、距離的にここだろうと思うところでブザーを鳴らした。そうしたら、予想していたバス停の手前に目立たないバス停がひとつあって、そこでバスが停まってしまった。
 なんのためにバスに乗ったのか……けれども、そのバス停だって、いつも散歩でその道路を歩いているのに、どこにあるのかという記憶が曖昧になってしまっていた(だから気がつかずにブザーを鳴らしたのだし)。
 それだけ、存在していても見えていないものは多いのだとも思わされた。

 バス停2つ分の距離になってしまった帰り道を歩きながら、そういうことを考えていた。


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 お知らせ

 最近健康診断をやったのですが、視力は悪くはなっていませんでした。


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