Sun Set Days
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2002年10月29日(火) |
比率+『日本語の教室』 |
キャスター:さて、本日「Sun Set研究所」による、様々な比率の研究結果が発表されました。 VTRをどうぞ。
――――0.02%
日本人に占める恋人に「マコリン」と呼ばれている人の比率。
――――1.4%
日本人に占めるペアルック率。
――――9.5%
日本の犬に占める「ポチ」率。
――――12.4%
日本の猫に占める「タマ」率。
――――15.7%
バレンタインデーに意味もなく普段より早く登校する男子中学生率。
――――22.8%
メガネを取ると美少女率。
――――3.6%
何もないところで転ぶ率。
――――0.15%
パジャマで登校率。
キャスター:様々な比率で表わすと、興味深いものがありますね。
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『日本語の教室』読了。大野晋著。岩波新書。
帯にはこう書いている。
日本語・日本とは何か? その弱点を明らかにし、「文明力」強化の途を示す。
国語学の権威であるらしい大学教授が、日本語や日本についての16の質問に答えていくという形式をとった新書。質問にはたとえば「仮定のことを言うのに過去形を使うのはなぜですか」、「日本語が南インドから来たとは本当ですか」から、「漱石や鷗外は『源氏物語』を読んだでしょうか」「戦争に負けることが言葉に影響するものなのですか」など、多岐に渡っている。それらの質問に対して、著者は事実に基づいて、つまり過去の膨大な文学作品などの著作群を紐解き例示しながら、専門外にもわかるようにわかりやすく解説している。
たとえば、著者は日本語の起源は南インドのタミル語であるという研究を続けており、どうしてそのような確信を持つに至ったのかについて説明し、日本語との類義語の比較を説明してみせる。僕はこのタミル語という言語があること自体知らなかったのでその説明は新鮮に思えたのだけれど、確かに祭祀のやり方から共通する単語の意味や発音まで、興味深い類似が非常に多いなとは思えた。もちろん、日本語の起源にはポリネシアやモンゴルなど、諸説が入り混じっているようで、どれを信ずるのかというのは各学者によって異なってきているのだけれど、一つの説としてはやっぱり信憑性はあるように思う。
けれども、本書の中で最もなるほどと思ったのは、「文明力」のようなものが、戦後の漢字制限による漢字の覚える量の削減によって低下してきたのだという部分だ。日本には漢字とかな文字があるけれど、かな文字では表現に限りがあり、また情緒や感情についての言葉が多い。一方で、論理であるとか、明晰な思考のためには、日本人は古くからもう一方の漢字を多用してきた。その漢字の語彙数の豊富さなどが、認識力や思考力の礎となっていたのだという考えだ。つまり、語彙が多ければ多いほど、意味の差異や細かなニュアンス的なものを把握していることになり、より精密な論理を展開することができるようになっていく。その部分が、戦後の漢字制限で弱められてしまった。それがゆえに、現在の日本のある種の遅れが発生しているのであるという考え方だ。
これは、たまたま前回読んだ『読書力』の主張に通じるものがあるような気もするのだけれど、確かに語彙の量と考えるときの懐の深さのようなものには共通点があると思う。似たような言葉で微妙に意味やニュアンスが異なる漢字は多いし、そういった差異を把握しながら考えていくことが、より精緻な論理性を獲得するというのも納得することができる。
いずれにしても、たくさんの文章を読んでいくことが、言葉を覚える、そして読解力を高める手法なのだろうと思ったし、それによって得られるものの重要性は、いまなおかなり高いのだろうなとも思った。
いくつか引用。
日本人は漢文そのもの、その訓読系の文章によって明晰、簡明、論理的な組織化の重要さを学び、和文系の表現によって優しい心、自然を感受する心、情意の働きを受けとる能力を養って来た。その二つが日本人の心をはたらかせる車の両輪だった。(141ページ)
言語はただ道具として存在しているものではなく、物や事と即応する精神的組織です。精神を形成する組織を、訳のわからない形で強制的にいじることは、物や事を認識するはたらきを、じつは深いところでいじることです。言語の体系が傷つくと、物や事をそれなりに組織的に動かし運用して行くはたらきに歪みが生じ、全体が雑になるのです。(165ページ)
このような最近の社会現象に現れた、文明の正確な、精しい理解、把握力に欠けた日本人の行動は、私の見るところでは、実は日本語を正確に、的確に読み取り、表現する力の一般的な低下と相応じていると思うのです。(……)そしてまた言語の能力が低く、単語の数が貧弱では、文字を通して事態を精確に理解も表現もできないということがあります。(180ページ)
文化とは地球上の位置が持つ自然に伴って生じる地方性である。それに対して、文明とは、広く生産に関係する技術、精神世界に関する思考の体系。世界中どこにでも持って行くことができ、広がって行くことができる。世界に共通するもの、技術と論理、それが文明です。(192ページ)
ロゴスの意味は、「手に取って集めること、選び出すこと、言葉を選ぶこと、言葉の筋を立てた論述から、論理へ、理性へ、学問へ」と展開しています。(……)これに対して、日本語では「学問する」ことをマナブという。マネブともいう。真似をすること。日本では真似をすることが学問の本質とされて来たわけです。ここに文明を作り出してきた集団と、文明を輸入することが常に第一である集団との、行動と言語の様相の相違がはっきり見える。(200ページ)
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お知らせ
日本シリーズは、巨人が王手なのですね。
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