Sun Set Days
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2002年10月04日(金) 声どろぼう

 その年、世間のニュースを賑わせていたのは「声どろぼう」のことだ。多くの新聞の紙面やテレビのニュース番組では、連日その話題を繰り広げ続け、その被害と対策について声高にアピールを繰り返していた。最初は、歌い手たちだった。たくさんの歌手のなかで、とりわけ本物と言われていた歌い手たちの声がまず盗まれた。それから、幾人かの音楽の教師たちが、カラオケを趣味にしている人たちが、歌のうまいクラスメイトたちの声が、どんどん盗まれていった。彼ら/彼女らは声を失い、ただただ途方にくれた。メモ帳とペンを手に、筆談でコミュニケーションをとるようになった。またある者は絶望し、姿を隠した。街や町や村からは、少しずつ、小さな島が寄せては返す波によって削られてしまうように少しずつ声が消えていった。

 盗まれた声はドロップにされ、闇のルートで高値で売買された。もちろん、きれいな声であればあるほど透明できれいなドロップになった。ストロベリー味にレモン味、ハッカ味にチョコレート味。様々な声が、様々な味のドロップになった。そしてそれを嘗めたものはもとが美しい声であればあるほどこの世のものとは思えないほどの味を知ることとなった。

 ある青年の恋人が、声を盗まれてしまった。恋人は昼なお暗いカーテンを閉め切った部屋の中で、ただぼんやりと焦点の定まらぬ目を部屋の空気の粒子に向けていた。彼女は初夏のヒバリのようにとてもきれいな声をしていた。そして、青年は恋人の声を取り戻す旅に出ることにした。

 旅は長く苦しく、恋人の声のドロップを見つけることは非常に難しかった。しかし青年は様々な情報を集め、少しずつ核心に近付いていった。
 旅の途中で、青年は同じように愛する人の、あるいは家族の声を取り戻そうとしている人たちのグループと知り合った。そのグループは青年にいくつかの情報を与えてくれた。

・声どろぼうの隠れ家は虹色の鍾乳洞を越えた先にある深い森の中にあること。
・声どろぼうたちは様々な形へと変化することができること(普段は人型だが、鳥になることも、狼になることもできる)。
・本人がドロップを嘗めると、元の声を取り戻すことができること。他の人がそれを嘗めると、この世のものとは思えない味をあじわうことができること。

 そのグループのメンバーは、世界中からやってきていて、叡智を結集していよいよ虹色の鍾乳洞の場所を見つけ出し、突入しようとしていた。青年は、そのグループと一緒に、その場所を目指した。

 そのグループに、やはり愛する恋人の声を盗まれてしまった女性がいた。あるキャンプの夜に(道程は長く、何夜もキャンプをはることになったのだ)、その女性と言葉を交わす時間を持つことができた。

「アタシの恋人は、とてもうつくしいバリトンの声の持ち主だった」

「あの声が盗まれたなんて信じられない」

「恋人は、ショックからアタシに当たるようになったわ。以前とは別人のようになってしまった」

 青年は、心を痛めて言った。

「ええ、よくわかります。私の恋人も声を盗まれて以来、部屋にこもったまま外に出ようともしません」

「それは辛いわね」

「ええ」

「けれど、本当にこわいのは」

 その女性は言った。

「本当にこわいのは、声どろぼうが盗んでいくもうひとつのものなのよ」

「もうひとつのもの?」

「ええ、いい歌をうたうときの条件ってなんだと思う?」

「……ええと、感情をこめて歌うことですか」

「ビンゴ」その女性は静かにそう呟くと、周囲に聞かれてはいないことを確かめてから、小さな声で続けた。「じゃあ、歌声を盗まれてしまったときに、そのうたが美しければ美しいほど、感情もこめられていることになるわよね」

「ええ」

「それがどういうことかわかるでしょ。美しい声と美しい歌と感情とは切っても切り離せないものなのよ。だから、それは盗まれたときに一緒にドロップになってしまうの」

「……」

「いまはまだ大丈夫よ。記憶が感情をなんとか繋ぎとめてくれている。けれどそれは長くはもたないわ。声を取り戻さないと、やがて感情も一緒に失われてしまうのよ」

 そして、青年はそのグループと一緒に七色の鍾乳洞を超え、声どろぼうの隠れ家に突入することに成功する。しかし、狡猾で抜け目のない声どろぼうたちはそのグループ全員を捕まえてしまう。

「サテト。コイツラノシマツヲドウツケヨウカナ?」

 声どろぼうのリーダーがそういう。まるで暗い影のように、人の形をしているのだが、初冬の暗い雨雲が集まって人の形になっているように、後ろ側がすけて見える。

「ソウダ。イイコトヲオモイツイタ」

 リーダーはそう言って、手錠やロープでしばりつけ身動きがとれない何人かを前に突き出す。

「オマエタチガトリモドシニキタドロップハココニアル」

 そう言って、リーダーは小さな麻袋の中に入ったドロップをひとつ取り出すと、人差し指と親指でつまんでゆっくりと揺らしてみせる。

「コレヲアイスルヒトニナメサセレバスベテモトドオリ――」

「――デモ、コレヲオマエタチガナメタラドウナルダロウ?」

「……や、やめろっ。やめてくれ!」

 しばられていた男の一人が、リーダーの意図を察してそう叫ぶ。

「いやぁっ!」

 しばられていた女の一人もそう叫ぶ。

 彼は、彼女は、愛する相手の声と感情でできたドロップを、身動きができない口のなかに入れられようとしていたのだった。

「アイテノキモチヲアジワウコトガデキルキカイナンテソウナイヨネ」

 リーダーはそう言って不気味に冷徹に微笑むと、部下に指示して彼や彼女の口を開けさせ、そのドロップを放り投げた。

「うわあぁああ…………あぁ――」

 男は、叫び、そしてドロップが溶け始めるや否やはちみつの池の中に落ちたくまのように、とろんとした目つきに変わる。女も同じだった。

「こんな――こんなにうまいものがこの世に存在するなんて」

 男は、愛する恋人の感情を自分が嘗めていることを忘れてしまったかのように、この世のものとは思えない味を持つドロップを嘗めている。

 青年は、それを見ていた。青年も自由がきかないよう縛られている。目の前では、今度はドロップに感情がこめられていることを教えてくれた女性が、バリトンの美しい声をした恋人の声のドロップ――ビターなチョコレート味――を嘗めている姿が映っている。最初は泣いていたその女性も、いまでは至福の表情へと変わっている。次は自分の番だった。声どろぼうのリーダーは、感情のほとんどこもっていないような目を自分たちに向けている。彼にとってはこのひどく残虐な試みも、まるで食事の後のちょっとした余興みたいにしか思っていないみたいだった。
 薄暗い部屋の隅で、体育すわりのような格好でぼんやりとしている恋人の残像のようなイメージが浮んだ。恋人の笑顔がもう見ることができなくなることを、そしてそれが自分のせいになってしまうことを青年は哀しく思った。

「サアツギハ――」

 リーダーが言った。青年は、ゆっくりと目を開けて、薄い青色に輝く恋人のドロップを見つめた。


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 お知らせ

 これが映画なら、誰かがきっとやってくることでしょう。助けに。


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