Sun Set Days
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2002年09月12日(木) 『海辺のカフカ』(下)

『海辺のカフカ』下巻読了。村上春樹、新潮社。
 12日の23時半過ぎに読み終わった。読み終えるのがいやなのにページを手繰ることは止められないので、そのまま1ページずつできるだけ集中しながら読み進めた。いくつかのことは終わり、いくつかのことは始まるのだけれど、それはDaysでは触れないことにする。感想のようなものは、もちろんいまはまだ自分の中でまとまってはいないし、時間が経ってもまとまるのかどうかはよくわからないのだけれど、それでも書くことに意味があるわけだし、書こうとは思う。
 My Favoriteの中に、追加しようと思う。書き終わったら。


(この下の段落からはネタバレというほどじゃないですが、少し作品に触れているので、これから楽しもうという人は読まない方がいいと思います)


 ただひとつ言えることは、『海辺のカフカ』という小説は僕にとってとても大切な物語になったのだということ。もちろん、これまでだって村上春樹の小説は大切な物語であり続けたけれど、これまでのものと比べても、ある種の物語(や本)と出会うことにタイミングのようなものがあるとしたら、かなりの程度でタイミングのようなものがよかったと思う。思いがけず、思いがけないからこそ強く深く。
 物語のある点には、暗い行き止まりの路地にべったりと張りついている影のように、簡単には許容することのできない暴力性があったし、半紙に間違って落としてしまった墨の模様のように違和感のある共感できない点もあった。けれども、それよりもたくさんの心を打たれる細部があり、考えさせられる印象的な(作中よく使われていた言葉を使えば)メタファーがあった。
 そういういくつかのことを鑑むまでもなく、大切な物語だ。
 村上春樹はその『海辺のカフカ』のホームページの中で、「小説を書くときに自分がいちばん強く意識することは、「何度読んでもそのたびに違う読み方のできる小説を書きたい」ということです。」と書いているけれど、これはまさにそういう小説になっていると思う。ストーリーはあるし、はじまりから終わりにむかって放たれた矢のようにまっすぐにある点を目指していく。そして、その矢の軌跡は美しいのだ。とても。繰り返し空を見上げてその鮮やかな軌跡を反芻してしまいたくなるほどに。時間をおいて読み返すことになるだろうし、その何度かはおそらく部分的な拾い読みになるのだと思う。
 比喩ということについて考えさせられた。それが喚起するイメージと象徴する意味のようなもの。対象と置き換えられたものとの間の関係性。あるいは文章のスタイル、淀みのない、あるいは淀んでいる流れ。文章的な技術と物語。そういったいろいろなことを、交互に続く物語を読んでいる間に思っていた。
 こういう物語を、小説を読むことができてよかったと思う。村上春樹の作品を同時代で読むことができる読者でよかった。
 本当に。


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 朝、最寄り駅のカフェのなかで、カプチーノのエクストラサイズとスイートポテトパイを食べながら我慢できなくて100ページほど読んだ。
 帰り、職場の近くにあるマクドナルドで、月見バーガーのMセットを食べながら100ページほど読んだ。
 帰り、最寄り駅のカフェのなかで、カフェオレのエクストラサイズを飲みながら100ページほど読んだ。
 帰ってから、ベッドの上に座って壁に背中を預けて残りの100ページと少しを最後まで読んだ。
 それが、下巻を読んでいた場所になる。
 朝と帰りのカフェは同じ店で、座った席は違う。


 読み終わったあと、携帯電話に友人からの着信が入っていたので、電話をかける。その友人はいまは北海道の函館に住んでいる。かつて僕も半年間ほど住んでいた場所だ。いくつかのことを話し、なんだかんだで1時間弱。電話が終わったときには0時30分少し前だった。


 小説を読んでいるときの愉しさのことを、なんだか随分とひさしぶりに思い出したような気がする。不思議なことに。
 そして、今夜同じように『海辺のカフカ』を読んでいる人ってどれくらいいるのだろうと少しだけ思った。結構たくさんいるような気がする。集中して、ページを手繰っている同じ物語に触れている人たち。優れた物語にはいくつもの扉があって、世界中のいろいろな場所で、その扉を開けてたくさんの人が同じ物語の中に入っているのだということをイメージしてみる。まるでネットワークのなかで繰り広げられるロールプレイングゲームみたいに。ただちょっと違うのは、同じ物語世界の中に入り込んでいるのだけれど、そこでは相互のコミュニケーションはとることができない。その場ではチャットもできない。そこが違う。それから、同じ物語世界に入り込んでいるのに、そこに見出す意味のようなものもそれぞれ違う。けれどもそこにはたくさんの扉があって、たくさんの人たちがその扉を開けてこの物語に入り込んでいる。
 そういうイメージ。


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 お知らせ

 僕はナカタさん+ホシノさんのパートがかなりたのしみでした。


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