Sun Set Days
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今日は先輩と2人で飲む。前に一緒に飲んでから半年以上経っていて、いろいろと話す。 先輩おすすめの焼き鳥屋に入ったのだけれど、メニューのなかに「ささみ刺し」があって、新鮮じゃないと出すことができないメニューだけあって、おいしかった。 おごってもらう。
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帰りにミスタードーナツに寄ってドーナツを買った。 子供の頃、ミスタードーナツやハンバーガーショップはちょっと特別な場所だった。普段はそういうファストフード的な物を頻繁に食べるわけではなく、家で普通に食事をとっていたから、そんなふうに思えていたのだと思う。 だから、子供時代に家にケンタッキーフライドチキンがあったり、ミスタードーナツの細長い箱があったりするのを見つけたときには、なんだか特別な感じがして嬉しかったりもした。
ファストフードが特別なものではなく、日常になってきたのはいつくらいからなのだろう。
中学生のときもあまり入らなかった。 高校生のときには、学校帰りに友人たちと入ったりはしていた。 やっぱり、大学生だったときからなのかもしれない。そのときには僕は1人暮らしをしていたのだし、自炊はしていたにしても、毎日のようにしていたわけではなかったし。そういうときの選択肢として、コンビニと並んでファストフードは随分と重宝するものだったから。 それから、社会人になって、もともとハンバーガーが好きだったこともあるのだけれど、結構頻繁にファストフードを食べるようになって、いつの間にか小さかった頃のわくわく感のようなものを忘れてしまっていたのかもしれない。 今日、ミスタードーナツのトレイを持ってフレンチクルーラーやハニーチュロを選びながら、そんなことをふと思った。たとえば、以前のマクドナルドのコマーシャルに、小さな子供がマクドナルドに行くことを本当に楽しみにしているようなやつがあったけれど、自分だってかつてはそうだったのだ。ドライブスルーだって、「注文は自分に言わせて」とねだるくらいおもしろいことだったのだ。
もちろん、すべてのことに繰り返し新鮮味を感じられるわけではないし、慣れることにもよいところはたくさんある。けれども、完全に当たり前のことになってしまって、そこに楽しみのようなものをまったく見出せなくなるのは、やっぱりちょっとつまらないかもしれないなとは思う。同じものに対しておもしろいと感じる人と、そうは感じない人がいて、それはやっぱり自分がかけている目に見えないメガネのレンズの色が何なのかということに尽きるのだろうし、だったらそういうメガネにかけかえないととか考える。
繰り返しになるけれど、すべてのことに新鮮味を感じることは難しいし、すべてのことに好奇心を抱くことだって現実問題ちょっと難しい。 けれども、日々の暮らしのなかに、少しずつ「こういうところがおもしろいよな」とか、「こういうのはいいかもしれない」という小さな何かを付与していくことくらいはできると思う。 それはもちろん無理をしていることなのかもしれないし、それだったら本当ではないのかもしれない。 けれどもそういうのだってある種の慣れだし、そう考える癖がついてしまえば、後は意識しなくても自然とそう考えるようになるというのも事実だと思う。
同じことに、同じ出来事に、まったく反対の印象を抱くことはできるのだ。 だったら、楽しいほうにしたほうがいいと、ただ単純に思うだけなのだけれど。
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お知らせ
ミスタードーナツの点数のカードって、5点くらい揃ったところでキャンペーン期間終了というのが多いのです。 そして、子供の頃には、いつか大人になったらケンタッキーフライドチキンの20ピース入りを1人で食べてみたいと思っていました。まだ実行はしていないですけど。
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