Sun Set Days
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| 2002年08月07日(水) |
それは絵筆、それはトンカチ |
でも煙草は最初にして秘密の邪悪だった。彼女たちは興奮気味に嗜癖にのめっていった。タバコの煙を肺の中に入れたいからではなく、煙草を吸う女、になりたいがために。二、三年も経たないうちに、バッグに入れた煙草は財布や櫛と同じくらいあたりまえになった。けれど十四、五歳の時点では、化粧品に紛れた魅惑的な色合いの箱をひと目見るだけで、一つの人生が終わり、これからは新しく希望に満ちた時が始まる、と興奮していたのだ。(『プリティ・ガール』アンドレ・デビュース。151-152ページ)
僕は煙草を吸わないし、いままでの人生において積極的に吸いたいと思ったことがない。たぶんこれからもないと思う(絶対とは言えないけれど、まあかなりの確率で)。 ただ、それは別段健康のためというわけではなくて、子供の頃からどうしてか煙草が好きになることができなかったという感覚的なものでしかない。家族は煙草を吸っていたので、生理的に煙がだめなわけではないのだ。ただ、吸い終わった後の煙草のどこか物寂しい感じだとか、煙草を吸うことに象徴される大人っぽさのようなものに、どこか自分にそぐわないものを感じていたのかもしれない。 だから、煙草は別の世界のモノゴト、という感じがいつもしていた。
高校生にもなると、友人たちの間でも当たり前のように煙草を吸うやつが少なくなかったし、なかには20歳で禁煙するんだなんていうありがちな背伸び発言をしているやつさえいた。それでも、そういう時期でも煙草を吸う気にはやっぱりなれなかった。もちろん、高校生のときに一度だけ友人にためしにと言われてふかしただけの経験ならあるけれど、それはあくまでもふかすだから「吸った」ことにはならないと思う。
それでも、最初の引用の文章は昔読んだ本の中にあったものだけれど、煙草を吸わない僕でも、その文章が象徴しているものはわかるような気がする。それまでの子どもめいた世界から、もうひとつの大人の世界への扉を開ける鍵のようなものとして、煙草やありとあらゆるタブーが魅力的に映るというようなこと。
煙草を吸わない僕でもそういうことが(なんとなく)わかり、イメージすることができる。 そういうのって、よく考えると不思議だ。 自分が経験していないことにさえも、感情移入することができたりするのって不思議なことだと思ってしまうのだ。 もちろん、誰の中にもそういう感情があるからと言ってしまえばそれまでだけれど、やっぱりそれは想像力のなせるわざなんじゃないかと思ってしまう。
つまり、人の想像力は自分が見たことのない景色、訪れたことのない状況でさえも自分の中で組み立てていくことができるほど強いものであると思うのだ。 様々な断片を、そのときどきのやり方で結びつけて、一つの絵のようなものをかたどっていく。あるいは、様々な部品を、そのときどきのやり方で重ね上げて、一つの建造物を構築していく。 想像力はそういうときの絵筆であり、トンカチだ。 そして、自分の中に絵なり建造物なりができあがることによって、僕らはそれらを(自分なりの解釈で)理解することができる。想像力があるからこそ、そういうことができるのだと思う。 そして、素材である様々な断片や部品を用意するのは五感の役割だと思う。言葉には五感のなかに点在するたくさんのスイッチに触れていく力があって、そのスイッチが柔らかく(ときに強く)押されるたびに、心の中にある種のイメージが立ち上がってくる。そしてそれらの断片が立ち上がるたびに、絵筆でありトンカチである想像力がやってきて、回収しまとめあげていく。そしてある種の世界を自らのうちに構築していく。
書くこともプロセスとしてはきっと同じだ。 たとえば煙草を自分では吸わない僕でも、たくさんの人が煙草を吸ってきたシーンは目にしている。あるいはタバコの煙を嗅いだこともある。煙草の種類をいくつか見てきている。そういう五感に関連する様々な種類の断片を想像力で繋ぎ合わせることによって煙草を吸う人を(自分なりに)理解し、理解は解釈でもあるわけだからその解釈を用いて煙草を吸う人物を物語の登場人物の一人として創り上げることでさえもできるのではないかと思うのだ。
もちろん、知らないことについて書くことは難しいし、それはともすれば独りよがりな、どちらかというと本質をつかめないものになってしまうかもしれない。けれども、たとえば、目を閉じて鳥の羽音を聴くとする。そうしたらいままでの様々な記憶からその鳥の姿を想像してみることはできると思う。その想像はもしかすると実際の鳥の姿とは似ても似つかないものかもしれないけど、それでもやっぱり(自分にとっては)ある種の本当の鳥であると言うことができるだろう。また、ある甘いにおいをかいだとする。そうしたらその甘さをもたらしたケーキを想像し作り上げ、それについて書くことはきっとできるはずだ。その想像上のケーキは、やはり実際に食べることのできるケーキとは全然異なったものになるのかもしれないけれど、それでもある種の「ほんとうの」ケーキだ。 そんなふうに、自分たちのなかにあるたくさんの五感のストックを、想像力のトンカチを用いて結びつけ何かを創り上げていくこと。建造物の形はどうであれ、やっぱりある種の建物はできる。それを見ることによって「理解」することができるし、理解することができれば「書く」こともできるはずだ。きっと。 その建物が自分にとって「ほんとうの」ものになるように気をつけながら。
もちろん、建物の出来栄えという問題もある。 そのため、よい建物を作るためには、できるだけ普段から五感を使っておくことが、ストックをためておくことが大切なのだろうなと思う。 想像力は無から何かを生み出す力ではなくて、いまある一見無意味な素材のようなものを纏め上げる力であるはずだから。 たとえば、自分の中に素材が3つしかないと、その3つの点を結びつける線は3本しか引くことはできない。けれども、もし4つの点になれば6本の線を引くことができるし、10の点があれば、いったい何通りの線の引き方ができるだろう? 素材(点)がそれだけあることが、しっかりした複雑な建物を自分の中につくるための助けになるとは思うのだ。 語彙をたくさん知っている人がたくさんのバリエーションの文章を書くことができるように、五感のストックが多い人は、様々な状況を(たとえそれが自分の経験していないものであろうと)何本もの線で結びつけることによってリアルに想像し、理解できるのだろうと思う。
ということで、頑張ってもっといろいろストックしよう。
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お知らせ
今日のCDはL⇔Rの2ndアルバム『LAUGH+RAUGH』。「(I WANNA)BE WITH YOU」という曲があらためていいなと思うのです。92年11月16日発売のアルバムで、もう少しで10年だなんて、ちょっと信じられない感じです。
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