創造と想像のマニア
日記というよりもコラムかも…

2003年12月22日(月) 浴槽で本を読む。

久しぶりに本をお風呂場に持ち込みました。
持ち込んだ本は吉本ばななの「体は全部知っている」の文庫本です。ぬるいお湯の中で本を読むのは好きなのですが、当たり前の話、本を読むのに適している場所ではないので色々と体勢を変えながら1時間程読書を楽しむ。
全部読むつもりで持ち込みましたが、久しぶりだったからのぼせそうだったので半分で読むのをやめました。
集中出来るのでこの場所って凄くいいんです。
部屋の中だとどうしても雑念が入ったり、家族がいると邪魔されたりTVをつけられたりするので、集中して読めないけれど、何故か外で読む時はそんなに音や人の声は気になりません。全く私に拘わりの無いものだからなのだろうか。未だにこれは解りません。
ま、そんな事で久しぶりにこの本を読みました。
この本を読んだ時「帰ってきた」という気持ちになったんです。「アムリタ」までは夢中になって読んでいましたが、それ以降は読んでも読んでも内容が頭に入らず、小説を読む事が出来なくなってしまったのかと本気で思った位に受け付けなかったのですが、新刊が出ればチェックをし、読まないだろうと思いながらも買い続けていました。
初めて「キッチン」を読んだ時のあの気持ちになるかもしれない。そういう物語を書いてくれるかもしれない。待っていれば。待ち続けていれば。
駄目かもしれない。でも、もしかしたら……
という気持ちで買い続け、この本が出た時もハードカバーで買いました。表紙の絵はちょっと好みではなかったのですが、何となくいい印象は持っていたが、すぐに読む事はしなかった。「まだだ」という気持ちが働いたような気がしたのです。
そして、次に名前を全部ひらがなに変えて「王国」が発売し、購入した時に待ちきれずに家に帰る前に本屋の近くのカフェで一気読みをし「帰ってきたかも」と思い、この「体は全部知っている」を読み「帰ってきた!」と思ったのです。
次の「ハゴロモ」では「んん?」と思う部分もあったけれど、一番新しい「デッドエンドの思い出」ではボロ泣きをし、やっぱりこの人の書く物語が好きだ〜。と、最近ちょくちょく初期の作品を再読している。
どうしても「駄目かも」と思うと気に入っていた話も読めなくなってしまう単純な思考回路をしています。
今現在読めなくなってしまっている人が1人。嵌って1ヶ月に1作品必ず読んでいたのに今では受け付けなくなってしまっている人がいる。
読みたいという気持ちを持っているのに読めないのは正直辛い。
せめて好きな作品だけでも読めるようになりたい。

文庫派でも、ハードカバー派でもないとは思っていますが、先に読んだ方でイメージが固まってしまい易い。好きな作家さんは文庫を待たずにハードカバーで読むので、勿論ばなな作品もハードカバーで先に読みますが、この人の本は文庫が出るとおまけの頁がついていなくても買ってしまいます。先にハードカバーで読んでいるのにどの作品も文庫のイメージになってしまう。いや、ハードカバーで読んでいる時点でもうすでに文庫で読んでいる気分になっているのかもしれない。
しかも、文字のでかい文庫なのに受け入れている自分がいるのです。でかい文字の文庫は大嫌いなのに、この人の作品はあまり嫌だとは感じない。ただ、薄い本が2冊に分かれていたりすると許せないのですが(爆笑) 外で読む事が多いから2冊も持ち歩きたくないんですよ。リュックの中で本が広がるのが嫌で(笑) 一応カバーを作って、広がらないのですが、2冊分作っていないし、2冊分もブックカバーはいらないから薄い本で2冊、3冊になっていると憎んでしまう(爆笑)
そんな心の狭い私が文字が大きくてもそこまでは気にならないってのは凄い事なんですよ。今日読んでいて「そういや文字でかいな」と気付いて、嫌悪感を感じなかった自分に吃驚しました。これもばななの力なのか(笑)

ああ、やっぱりこの人が書く物語は好きだなと感じました。


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未森

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