2014年11月23日(日) |
ハルオ君とタカシ君の物語。 |
ハルオ君はモンゴルの首都ウランバートルの出身で、同郷の先輩ショウ君のお父さんに柔道を習っていた。その才能をショウ君のお父さんに認められたハルオ君は、息子のショウ君と同じように日本で相撲の道に入ることを勧められる。
タカシ君はモンゴル国の遊牧民で、ウランバートルから400km以上離れた草原でヤギやヒツジ達と一緒に育った。小さな頃から馬に乗って草原を駆け回り、馬の乳を2リットル、毎日欠かさず飲んだ。
のびのびと体も大きく育ったタカシ君は草原の相撲大会で優勝してその才能を認められ、はるばるウランバートルに渡ってショウ君のお父さんが主催する柔道教室に学び、そこで2歳上のハルオ君と出会った。
ショウ君のお父さんの柔道教室で、二人は日本の高校の相撲部にスカウトされる。そして、ハルオ君が高校3年生でタカシ君が高校1年生の時に、二人は同じ飛行機に乗り日本の鳥取県にある高校に一緒に留学した。
同じモンゴルからの留学生だった二人は、高校の寮も同じ部屋だった。そしてハルオ君が高校3年生の時、団体戦で見事日本一に輝いた。
翌年ハルオ君は高校を卒業し、そのままプロの道へと進んだ。前相撲から取り始めたハルオ君は、その後序の口、序二段、三段目、幕下と順調に昇進を重ね、大相撲に入ってから3年目の秋に十両への昇進を果たす。十両では昇進した場所でいきなり優勝し、たったの3場所で十両から幕内へと駆け上がった。それが、今年の春の話。
一方ハルオ君が卒業したあとのタカシ君は高校2年生、3年生と順調にタイトルを獲得。卒業後すぐにプロへの道を目指すこともできたが、あえて大相撲入りせずに母校に残りコーチとなった。
鳥取に残ったタカシ君は後進への指導もしながら地道に練習を続け、アマチュアの大会で個人優勝し日本一となった。
そのため、特例として序の口と序二段、三段目をすっ飛ばしていきなり幕下15枚目付け出しでプロデビューとなった。これが今年の1月の話。
タカシ君は幕下をたったの2場所で駆け抜け、ハルオ君と同じく十両に昇進していきなり優勝し、これまたたったの2場所で幕内へと駆け上がった。
幕内に入って東前頭10枚目に位置したタカシ君は、初入幕でいきなり優勝争いを演じた。最後まで優勝を争ったのは大横綱の白鵬。かつてウランバートルで柔道を教わったお父さんの息子、ショウ(翔)君だった。
ハルオくんも順調に昇進を続けていたのだが、タカシ君がいきなり優勝争いを演じてしまったため、とうとう地位が逆転してしまった。
かたや真っ当な出世街道を歩いてきたハルオ君と、高校卒業後はいったん街道からは外れるが、その後昇竜の如く駆け上がってきたタカシ君。
この二人が、とうとう今場所のしかも千秋楽で、大相撲入り後初めて激突した。おそらく今後の相撲界を、彼ら二人は背負っていくことになるであろうし、今後数々の名勝負を見せてくれるに違いない。その初対決が今場所であった。
ウランバートルの柔道場で出会って一緒に来日し、同じ高校に通って寮の部屋まで一緒だった二人。単なる高校の先輩後輩の対戦ではない。二人とも、今後大関から横綱へと駆け上がっていくだろう。
相撲は2分を超える大熱戦となった。どちらが勝ってもおかしくない勝負は、勝ち越しをかけた先輩であるハルオ君(照ノ富士)に軍配が上がった。これからの名勝負の始まりを感じさせる素晴らしい相撲だった。
ハルオ君:照ノ富士春雄(本名ガントルガ・ガンエルデネ) タカシ君:逸ノ城 駿(本名アルタンホヤグ・イチンノロブ) ショウ君:白鵬 翔(本名ムンフバティーン・ダワージャルガル)
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