パンの一人当たりの消費量は、京都が日本一だそうだ。
この統計は「京都府」でくくっているので、おそらく「京都市」にすればもっと数値は跳ね上がるに違いない。そう考える理由は後述する。
なぜ、京都人はパン好きなのか。ミシュランの星を数多く獲った「美食の都市・京都」。京都では薄味が好まれるという幻想と共に、パン好きも京都の一面を表していると思われ非常に興味深い。
京都で薄味という幻想は誰が作ったのか。ミシュランの星密度が世界最高と思われる祇園では、様々な名店が軒を並べるが、これらの名店では出汁をしっかりと利かせているために、味を濃くする必要がない。必要がないというよりは、濃い味では出汁を生かせない。だから薄味だと思われているのだろう。だがこれらの名店を利用する京都人はごくわずかであり、大半の京都人は自宅で食事している。もしくは、大衆食を食べに行く。大衆食の代表と言えばラーメンだろうが、京都のラーメンは御存じ超ギトギトのこってりスープである。いまや全国展開どころか外国にまで暖簾を広げた「天下一品」も、発祥は京都だ。
さて、パンである。どうでもよいが、てめえの住む街はパン屋だらけである。同じ通りにパン屋がずらりと並んでいて、どのパン屋も個性的で美味い。意外なことに、あんパンやクリームパンなどいわゆる「日本のパン」を売る店はほとんどなく、ハード系やクロワッサンなどが美味い店が多い。バゲットなどは店ごとの美味さを競っている。
てめえはこの街に引っ越してきて以来、家のすぐ近くにあるパン屋にお世話になって来た。結構美味いパンを焼くし、最も近いというそれだけの理由で、そのパン屋のパンばかり食べていたが、ある日の夜中に突然家ごと燃え落ちてしまった。2階の住居部分まで燃えてしまったばかりではなく、密集する住宅街のことで、密接して建つ隣の家も半焼した。まだ家の燃えた嫌なにおいの残る翌朝、燃えたパン屋の前に立ちてめえは呆然とした。明日からどこのパンを食えばいいのだ。
隣の家まで燃やしてしまったということで、てめえのパン屋の再建は後回しになり、まずは隣の家の修理が始まった。パン屋自体は焼けたままで放置である。てめえは、まあ、そらそうやわな、などと思いつつ、通勤路でもあるパン屋の前を毎日通ることとなった。
さてパンをどこで買うか。今まで最も近いだけの理由でたまたま購入したパンが絶品だったので、実は他のパン屋を試したことすらなかった。が、探せばパン屋だらけである。
というわけで、いろんなパン屋を試してみたが、どうもいまいちだった。どうやら、燃えたパン屋はてめえの舌ととても相性が良かったらしい。そうしてパン屋巡りする毎日だった。
歩いていける範囲のパン屋をことごとく試したが、どこもいまいちだったので、自転車で行ける範囲に捜索範囲を広げた。そこでようやく、新たなパン屋を見つけたのだ。
そのパン屋は一見パン屋というよりは怪しげな衣料店のようにも見えた。店の前に立ってみるが、外から見る店の中は暗く、開店しているのかどうかもよくわからない。勇気を出して入り口の扉を押すと、なんとそこはパリだった。
店内にはフランス語のラジオが流れており、壁にはフランス映画のポスターが貼ってある。壁の白い部分にはいろんな言語の落書きがあった。店番をしていたお姉さんは、てめえと目が合うとにっこり笑って「いらっしゃいませ」と言った。bonjourと言われずにほっと一安心。
置いてあるパンをぐるりと見ると、普通のクロワッサンやアンチョビクロワッサンなど、他にもオリーブやナッツ類などうまく組み合わせてありてめえ好み。さっそくいくつか購入してみたが、どれも思った以上に美味かった。
それからは、そこでばかりパンを買うようになった。やっと見つけたお気に入りパン屋さん。散歩がてら歩いていける距離でもあったので、休日はのんびり歩きながらパンを求めている。購入して帰り、自分で淹れたコーヒーとともにいただくのが至福の時間だ。のちに知ったが、こんな近所の小さな店が東京のしかも新宿に支店を出してしかも大繁盛しているらしい。これで東京に行った時も、パンが食べたくなればいつでもいつもの味をいただけるというわけですな。
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さててめえの近所の燃えたパン屋だが、隣の家の修理が終了した後も、しばらく焼けたままで放置されていた。おそらく、隣の家の修理で資金が尽きたのだろう。というか、資金はなかったのかもしれない。そのまましばらく時間が過ぎた。
忘れたころに、パン屋の工事が始まった。「近所の方々には大変ご迷惑をおかけしました。まもなく再開しますので宜しくお願いします」という紙が店先に張ってあった。
焼けた跡は立て直しが大変なのだろうか、それからずいぶんと日にちがたったが、ゆっくり工事は進んでいる。再開すれば、歩いてすぐのこの店にまた戻るだろうが、前述の店にもちょくちょく買いに行くだろうな。
忘れかけていたが、京都にパン屋が多い理由だった。京都のいわゆる旧市街地にあたる「洛中」は、職人の町である。特に町屋なんかは職住一致のための家であり、1階は店舗や工場であり、2階が住居となっているわけで、通勤時間もいらない職人のための家である。職人は食事の時間がまちまちであり、またさっと食べられる、もしくは作業しながらでも食べられるパンがよく食べられるようになるのに時間はかからなかったと考えられる。
したがって、京都を歩くと、特に洛中にパン屋が多いことに気付く。職人の街ではない洛外は、おそらく京都以外の街を同じくらいのパン屋密度ではないだろうか。京都市外も同じだろう。
というわけで、「京都のパン消費量は日本一」の理由としては、洛中の人々がパンをたくさん消費するためだと考えるのだが、いかがでしょうか。あまり外れていない気がするぞ。
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