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2005年03月14日(月) Factory57(榊・芥川)


先生のベッドは大きくてやわらかいから、二人だって十分寝れるのに。いつも泊まりに行くと、先生は俺に寝室を譲り渡し、自分は居間にあるソファーで寝てしまう。
その日も先生はおやすみと呟き、部屋の明かりを消して、ドアを静かに閉めて立ち去った。
暗がりの中、俺はやわらかい枕に顔を埋める。
いつも先生が吸っている煙草、つけているコロン、そんな匂いが鼻をくすぐり、少しだけ寂しくなる。
いつまでだろう。いつまでなんだろう。
吐いた息が重く漂う。先生の家はいつもきちんと片付いていて、それを乱すのは俺。先生の家はいつも静かで、どたどた歩いたり、べらべら喋って、その静寂を砕くのは俺。
先生の日々を乱す侵入者、それが俺だ。出会った時からずっとそうだった。それでも先生は俺を受け入れてくれたのだけど。

俺はもう一度息を吐く。床に降ろした足が触れる冷たさに身を竦めながらドアを開ける。

ぼんやりした黄色っぽい灯りがガラス戸越に漏れていたから、まだ起きているんだと分かった。ぺたぺたした俺の足音にもう気付いているんじゃないかなと思いながら、先生、と言って扉を開ける。
「どうした、芥川?」
ほんの少し揺れる声。気遣うような響きは、以前、眠るのを恐れていた俺の事をまだ覚えているからだろう。
 
あの頃は夜眠るのが怖くて、だから逆に昼になると眠くてたまらなくて。どっちも怖かったけど、まだ昼の方がましだった。明るいし、学校には人がいっぱいいたから。他の先生は怒ったし、俺もしょっちゅう保健室や外に逃げてたけど。
先生だけだ。ちゃんと話を聞いてくれたのも、俺が自分でも分からなかった原因を明かしてくれたのも、傍にて眠るまで見守ってくれたのも。

「大丈夫」
眠れないわけじゃないから。俺は頭を振る。俺はもう大丈夫だよ、先生。まぁ眠れないといえばそうなんだけど、前みたいなことじゃない。
「先生、目が悪くなるよ」
片肘をついた先生の、横たわるソファーの上に伏せられた本を俺は指差しながら座る。
「いつも暗いところで漫画よんじゃいけないって、先生、言うのに」
先生は小さく笑ったみたいだった。
「電気点けてあげようか?」
いや、いいと先生は答える。もうすぐ寝るところだからと。邪魔しちゃったねと俺が言うと、先生は首を振った。
「それで?芥川」
それで?なんて言われてもすぐに言葉は出てこない。言いたいこと、伝えたいこと、胸を内側から押して苦しくなるほどいっぱいあるのに。
いざとなるとしぼんでしまう。消えてしまうんだ。
「先生」
先生のいるソファーの上に俺は腕を乗せ、そこに顔を埋める。
「俺、いつまで先生の生徒なの?」
ようやくその言葉だけ喉から押し出した。
先生からすぐに言葉は返って来なかった。俺は身動きせず、先生の小さな息遣いを耳にする。それはとても近く、俺の髪を揺らすほど近くに聞こえる。
「いつまでも」
先生が言った。
「いつまでも、芥川は私の大切な教え子だ」
俺は顔を上げる。
「俺、中学なんてとっくに卒業したよ」
「あぁ」
「高校だってちゃんと卒業する。もっと背も伸びて、もっとおっきくなって、大人になるよ」
真っ直ぐ見下ろす瞳に向かって俺は言う。
「それでも俺は先生の生徒なの?」
もっと何か言おうと、言わないと、俺は口を開くがぱくぱくと動くだけで、胸の底からせりあがる何か大きなものに喉が塞がれ、言葉は塞き止められてしまう。目の裏が熱くなり、俺は我慢しようと下を向く。

先生は何も言わない。おそろしいぐらい静かだ。

何かが触れた。髪に。俺の頭を軽く撫でる指。これまでも何度もそうしてくれた。長く骨ばった指の感触を俺は生きている限り忘れないと思う。そんな風に俺に触れた人は誰もいなかったから。ただ、やさしく、慈しむように撫でてくれる、そんな人さえ俺の傍にはいなかったから。

顔を上げると、先生は俺がとびっきりわがままな時や、悪戯をした時に見せるような表情を浮かべていた。やれやれ、ってあきれながら、でも最後は許してくれる、そういう時の顔。

たぶん俺はものすごい笑顔を見せたに違いない。先生がハッと手を離した隙に、俺は、先生の身体を椅子の背に押し付けるみたいにして、先生が包まっていた毛布の中に潜り込んだ。先生の胸元あたりにぎゅっと顔を押し付け、息を吸った。先生の匂いがして、手足に先生の温もりを感じた。
「芥川」
先生は困ったように呟き、俺を引き離す。
「俺、今日、ここで寝る」
先生の眉が上がる。
「それは・・・」
「おやすみ、先生」
ちょっと身体の向きを変えて、先生に背中を向ける。あのまんまじゃ、俺だってちょっとどきどきして寝たふりなんかできないから。
先生が芥川、って方を揺するけど俺は知らない振りをして目を閉じて、寝息を立てる。
「まったく・・・」
呆れ返った声は強い調子に聞こえた。転がされて床に突き落とされるか、それとも先生が寝室へ行ってしまうか、緊張して背中が硬くなる。
先生の腕が俺の肩の上を滑る。腕はそのまま俺を越えて、床に落ちた本を拾い上げた。薄目を開けて見守っていた俺は少しがっかりする。
「芥川」
不意に耳元にかかる深い息にビクッと首を竦める。後ろから伸びてきた腕に引寄せられる。先生の方に。
「落ちるぞ」
そのまま添えられるように置かれた腕を意識しながら、俺は次第にうとうととし始める。こんなにどきどきしているのに。先生の傍はとても落ち着くから。
「おやすみ、芥川」
最後に聞いた囁きと、耳元に寄せられた唇の感触、どちらも俺の気のせいだったかもしれない。




目を覚ますといつものように先生の寝室に俺は一人でいた。夜の間に先生が運んでくれたに違いない。朝、顔をあわせても先生は何も言わなかったけれど。


それが最初の夜。そして先生と俺の間に、何もなかった、最後の夜。





★榊先生お誕生日おめでとう!・・・ちゅうかジローの方が幸せじゃない・・・まぁジローの幸せもタロウの幸せです。
ちなみに罪に問われない年齢ですからジロー・・・条例は違反してませんよ!教師だから!★




 

 

 

 

 

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樺地景吾
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