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2004年01月03日(土) Factory33(樺地・跡部)


 「なんだ、誰もいないのかよ」
 舌打ちした跡部が目の前のドアを足蹴にする。止めるように、腕を掴むと振り払いながらこんな事を言う。
 「誰かいたら、この時間でコートの鍵閉めてる方がおかしいって文句を言う権利はこっちにあるだろう。誰もいなかったら、誰にも怒られない。違うか、樺地?」
 だからといって、テニスコートの管理人室のドアをこんなにガンガン蹴らなくてもいいはずだ。これじゃあまるでテレビで観た借金の取立て屋のようだと思って、そんな事をボソボソとしゃべったら、「お前、忍足に変なビデオ借りてるんじゃないだろうなぁ」と呟いた。
 「あいつの持ってくるビデオときたらなんとか金融とかなんとか道とかそんなのばっかりなんだ」
 高校のうちからあんなにマニアックでどうするんだよなぁと笑い混じりに言われても、自分は忍足ではないし、だいたいなんでそんな話になったのかと彼が戸惑っていると、「まっいいや。行くぞ」と最後にドアを一蹴りしてスタスタ歩いてゆく。その跡部の後姿をぼんやりと目で追い、聞こえないぐらいの溜息を吐く。

 新年早々、テニスコートが営業しているわけもないのに。
 今朝方の電話で言ったのに、インターネットには書いてなかったとあの人は言い、お前もモチばっかり食ってたら身体が鈍るだろ、暇だったら来いと強引に誘われた。
 だいたいろくに管理も行き届かない高架下のコートの、小さなホームページがまめに更新しているとも思えないし、三が日なんてどこのコートも休業のはずだ。どうして納得しないんだろう。

 「なにしてんだ」
 いつのまにか視線が下を向いていた。他に営業しているコートを見つけにいくとでもいうのか、そう思って見ると。見てもそこにあるはずの姿がない。ふと見上げてみると、コートを囲むフェンスに手と足をひっかけて跡部がぐいぐい登っているところだった。
 「ボサボサするな」
 腕を伸ばして足だけでも捕えようとしたのに、相手は素早く一番上まで行って、フェンスをまたぐと、こちらを見下ろして「モタモタしてんじゃねぇ」と足元のフェンスを蹴って揺らす。
 彼が行かなければいつまでもそうしているようで、仕方がなく登り始めた。フェンスは微妙に錆びていて、手が赤黒くなる。不快感に眉をひそめながら上まで登る。コートは遠く下にあるように思えるし、高架を通る電車の音はいっそううるさく感じられる。冬晴れの空はあいかわらず遠く、澄んでいるけれど。電車の通過を待ちかねたように、「なんだ、怖いわけじゃなかったんだ」と声をかけられる。

 こわい?

「高いとことか」

 こわくないですよ、高いところは

「じゃあビクビクするな」

 自分がビクビクしているとしたら、こんな事をして見つかったらひどく叱られるに違いないと思うせいだ。それを言う間も与えず、跡部はフェンスの向こう側、コートの方へ、躊躇せずに降りてゆく。

「お前も来いよ、樺地」
 手を払いながらこちらを見上げる跡部の顔はこの空みたいに晴れ晴れとしていて、彼は見慣れない高さの、見慣れない風景に別れを告げる。

 コートサイドのベンチに上着を放り投げ、そのまま着替え始めようとする跡部を彼はまた止める。
「なんだよ、このままやれっていうのか。汗まみれになったら気持ちが悪いだろ。風邪だって引く。だいたいなぁ、いいか、樺地」
 コートへ入ると、跡部が斜め上の高架を指差す。
「この辺だと上の電車から見えるけど、そこなら死角だ」
 だからいいじゃないか、と言うけれど、それならフェンスの向こう、コートの敷地脇を通る道路からはどこが死角になるというのか。立ち枯れたような潅木が生えてはいるけれど、完全な衝立とはなっていない。
「誰がわざわざあんな木の間から、野郎の着替えをのぞくってんだ、バーカ。気にするな」
 その言葉を跡部の試合でキャァキャァ言っている女子に聞かせてやりたいものだと思いながら、彼はバッグからウェアとジャージを取り出す。

 
 『ワガママ』という言葉をよく浴びせられている人だった。リーダーシップを取る事を揶揄してそう言われることもあったし、最終的には理に叶ったワガママだったこともあった。それにしてもワガママだとよく言われ、常に一緒にいた彼も「よく耐えれるな」とか「そこまでしてゴマすりたいのか」とまで言われたものだ。そんな言葉を耳にしながら、それは違うな、と思っていた。違うなと思っていても、じゃあなぜこの人と一緒にいるのかと考えてもよく分からなかった。以前は。


 「跡部ってホントわがままなんだから」
 あれはいつだったか。あの人たちが中学を卒業した、部の謝恩会でのこと。分かっていてわざと横暴な口をきくことがあの人にはあったから、たぶんそれが事の発端だったのだろう。周囲もそれを知ってか知らずか、あぁまた始まったというような空気が流れ、そう、たしかあんな事を言ったのは。
 「跡部って赤ん坊がそのまま大きくなったみたいだな」
 向日先輩だ。赤ん坊のワガママさそのままだいう言葉に周囲がどっとわいた。平気な顔で「そう言うお前は赤ん坊からなかなか大きくなれねぇなぁ岳人」と言って向日先輩が「わっコロス!」とふざけてだけれど物騒な事を口にしたものだ。
 「でもなぁ、それってお前もいけないんだぜ、樺地」
 そう言ったのは宍戸先輩。彼はいきなり自分に話がふられて驚く。
 「お前が甘やかすから、こいつ、こんなワガママになっちまったんだ」
 周囲のあげる笑いに「俺は甘やかされてなんかねぇ」という不機嫌そうな呟きは埋もれてしまった。
 「黙ってないで何とか言え、樺地」
 腹立たしげに言うと彼から視線を外し、言った当人の背中を冗談にはすぎるほど強く叩き、逆に大人げねぇなぁ跡部と宍戸先輩に笑われて、ますますむくれた顔をしていた。


 甘やかすという言葉にもひどく違和感を感じた。たぶんそれとも違う。じゃあ、なんなのか。
 分かったのはつい最近の事。


 「ボヤっとしてんじゃねぇぞ」
 コートの向こうから叱責が飛ぶ。
 「この中にいる時は集中する」
 跡部が足を踏み鳴らすようにコートを蹴る。
 「ボールに集中、俺に集中しろ」
 そう言った後で「俺っていうか、相手にな」と少し慌てたように付け加える。
 「笑うな、バカ」
 たぶん自分は他人が笑いだと取れるような表情をしていないのに。どうしてあの人には分かってしまうんだろう。
 
 ボールが足りないから、用具室のドアを蹴破ってボール持って来ようぜ、だの、このボロいネットむかつくからいっそ燃やそうか、だの本気なのか冗談なのか分からない言葉をいちいち制止ながら(でも用具室の鍵は本気で壊すつもりだったらしい)ボールを打ち合う。誉められる事はめったにない。厳しくて、情け容赦がない。それだけ真摯に向かい合ってくれているんだと彼は思う。

 そういうところも、彼は、この人が。

 陽が傾いてくるとさすがに寒くなってくる。じゃあ今日はこの辺にしておいてやると言われて彼の足もやっと止まれる。
 今日の寸評を浴びせられながら(耳に痛い言葉だらけだった)、互いに背を向けるようにして着替える。最後にベンチに腰を下ろし、履き替えた靴の紐を締めて身体を起こした彼の目に何か柔らかいものが巻かれて視界が閉ざされた。
 驚いてそれを取り去ろうと手をかけ引くと、わっと声がして背中にぶつかるものがある。
 「急にやんな、バカ。お前、破けたらどうすんだよ、これ」
 背中に貼り付く重みと暖かさ、すぐ横で言葉とともに漏れる息を彼は感じる。後ろから彼の両肩に乗せるようにして伸ばされた、手の持つものを彼はそっと取る。

 これは?

 「お前さぁ、三年間ずっと同じだろう」

 なにがですか?

 「ネクタイだよ、制服。こないだ会った時すげーボロボロだったから」

 言うほどボロボロじゃないですよ。一本だけ使っているわけでもないですし、何本か順番に

 「あぁ、そうですか」
 奪い返そうとする手ごと掴む。
 「いらねぇなら、返せよ」
 
 いらなくないです

 「変な言葉。なんだいらなくないって、お前きちんとした日本語使えよ」
 彼の手を振り解こうとする腕をもっと強く握る。動きが止まって、彼の背中にかかる重みが増す。

 でも、どうして

「お前、バカじゃねぇの、今日何の日か忘れてんのか、自分で」

 あぁ。・・・あぁ、そうでした

「そうでしたじゃねぇよ、ボケんのにも程があるぞ」
 あーあ、と大きな声がして、彼の首筋に柔らかい髪がかかる。
「俺もバカみたい」
 そんなこと言わないでください、俺の方がバカです、とは口にしない。たぶん言ったら怒るだろう。
 掴んでいたその人の腕を放す。離れるかと思ったその腕が後ろから強く彼を抱くように回されて、彼の髪にその人の頬が触れるのが分かる。

 あの

「なんだよ」

 俺、汗が

「うるさいやつだなぁ」
 俺だって一緒じゃないかと言いながら、腕が緩み、ふたたび彼のすぐ横でその人の声が聞こえる。

「ネクタイぐらい新しくしろよ。もう、春には、高校生だろ。お前もやっと」
 その後に続くはずの言葉があったかどうか分からない。彼は向きを変え、その人の顎を捕えると、開いた唇を覆ってしまったから。


「なにすんだ、バカ」
 声ほどに彼の肩を突く手は強くない。彼はまるでベンチに正座するようにして膝を折り、背もたれの方に立つ人を見上げる。

 すいません

「あやまるならするな」

 ウッス

「なんだ、お前ばっかり」
 睨み付ける瞳が和らぎ、尖っていた口が笑みを浮かべる。
「お前ばっかり、させるか」
 甘くて柔らかいその人を彼は唇に味わう。



「このまま家に来いよ」
 そう言って跡部はまたずんずん先を歩いてゆく。

 家に何にも言ってきてないので

「電話すりゃいいじゃん」
 ほら、と後ろ手に投げつける携帯を彼はあやうくキャッチする。

 でも

「なんだよ、まだ休みだろ。予定あんのか、それとも」

 いえ

「だったら」
 くるりと後ろを向いた人は、彼を睨みつけ、ふいに視線を外す。
「だったら、その」
 急に言葉につまって、その人が俯く。

 跡部さん

「なんだよ」
 彼はその人の頬に触れ顔を上向かせる。不機嫌そうに歪んだ口元と、戸惑う瞳がこちらを向く。

 ワガママです

「悪かったな」
 彼から離れようとする人の腕を掴む。
「離せって」

 でも、俺は

「言うな、それ以上言ったら」
 彼の腕を振り払い、その人はもう一睨みすると、また歩き出す。

「来るなよ」

 いいえ

「なんで」

 ついて行きたいので

「勝手にしろ」

 何も口にしなかったのに、やっぱり「笑うな」と振り返りざまに言われた。どうして分かるのか、彼には本当に不思議だ。















☆お誕生日おめでとう、樺地☆
なんだか俺はどこへ行こうとしているのやら・・・




 

 

 

 

 

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樺地景吾
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