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2003年09月10日(水) Factory20(鳳・宍戸)


 名前を呼ぶ、その声以外の音が全て消えてしまうほど心に響いても、その事を顔や態度に出したりなんかしない。俺はそう決めたから。だから前みたいに、なにげなく振り向く。
 周囲の音が耳に滑り込んでくる。
 昼休み。購買の前。普段と同じ。
「あ、宍戸さん」
 こんにちはと頭を下げる。
「お前なに、今日、弁当じゃないんだ?」
「あぁ弁当なんですけど・・・足りないっかなぁって」
 昼休み、屋上で一緒にご飯を食べながらダブルスの作戦を練っていた頃、いつも食いすぎだと呆れられて、だって腹が減ってしかたがないんですと答えたら、お前の胃はブラックホールに繋がってると笑った。
 ついこの夏のことなのにずっと前のことみたいだ。
 ブラックホールに繋がったのは胃じゃなくて胸の方。それは何もかも奪い取って吸いこんでどっかにやってしまうのに、たった一つ、食い込んで取れなくて、くちばしに釣り針が引っかかった鳥みたいに、引きつれて引っ張られてどうにもできなくて痛いままだ。
「またかよぉ、あいかわらずだなぁ」
 宍戸さんがちょっと笑う。前はこんな時、肩とか背中とかバンバン叩いてきたりもした。宍戸さんはそういうリアクションをする人。
 たぶん、もう、しないんだろうな、俺には。
「宍戸さんもパン?」
「親が寝坊してさぁ」
 宍戸さんは宍戸さんのお母さんが作ったご飯が何より一番好きらしい。はっきり口に出した訳じゃないけど、やっぱり家で飯食うのが一番だとかよく言うから、いつだったか、なんか旅行から帰ってきたオヤヂの一言っぽいですねって俺が笑ったら、一年ぽっちしか違わないのにオヤヂ呼ばわりかよと、俺の頭を両方の拳で挟んでぐりぐり押しつけてきた。痛いです、止めて下さいって、屈んでた俺は立ち上がって、笑いながら宍戸さんの両腕を、硬くてしなやかでまだ治りかけの傷もあった腕を掴んだんだ、思い切り。
 いてぇぞ離せよって宍戸さんが言う。口元は笑ってるみたいになってたけど、俺を見上げる目は大きく開かれて、驚いているような、困っているような、そんな感じ。

 だから離した、あの時は。

「長太郎、買うなら俺の分も」
 購買の前の混雑を横目で見て、えぇ俺が突入っすかと答えたりする。
「ついで、ついで」
 宍戸さんが500円玉を俺に差し出す。しかたがないですねって俺は肩をすくめて受け取る。
 受け取る拍子に指先が触れた。宍戸さんの表情は変わらない。
 指ごと捕えたくなった時にはもう宍戸さんの手は去った後。
「何がいいんですか」
 宍戸さんの体温がじんわり残る硬貨を、俺は拳の中に包むように持ったまま訊ねる。
「コロッケパンとかねぇかなぁ」
「もっと早くこないとダメですよ、それ」
「じゃあなかったらツナサンドと・・・」
 俺は先輩の言う事をハイハイと聞く後輩。前は本当にそれだけだった。今、またそうならなくちゃいけない。
 でもどうすれば戻れるんだろう。
「じゃあいってきます」
 俺が手をかざすと、宍戸さんは少しの間その手を見上げて、パチンとハイタッチする。ぎこちなくタイミングがずれた分、心がギシギシ、落ちてきた重い何かが当たってきしむ。
「いってこい」
 言いながら宍戸さんは大げさだってゲラゲラ笑い出す。俺も馬鹿みたいにゲラゲラ笑いながら購買の列に入り込む。
 人をかきわけて、パンを掴んで、注文して、精算する時、宍戸さんから預かった金はポケットに入れて、財布からまとめてお金を出した。こんな事に、何の意味もない。
「やっぱなかったかぁ?」
「人気あんのは早く来ないと」
「移動でさ、四限。おまけに終わるのおせぇし」
 パンとお釣を渡す。細かいのがなかったから多めに渡して後で差額を返して下さいって言う。
「別々に払えば良かったじゃん」
「そんな状況じゃありませんよ」
 まぁそうだよなと宍戸さんがお金をしまう。パンを両手に抱えて、俺を見上げる。何か、言葉を待っているみたいに見えた。何か言おうとしているように見えた。俺が何か言ってもいいように思えた。宍戸さんは誰とも一緒じゃなくて、ここに一人で来ているように見えた。
 宍戸さん、屋上にでも行きませんか。もう寒くてちょっとつらいかもしれないけど、そんな長く引き止めないから。何にもしないから。ただちょっと一緒に飯食いましょう、夏の時みたいに、テニスの話とかしながら。
 そう言おうとした時、宍戸さんが誰かに呼ばれて横を向く。
「すぐ行くって」
 宍戸さんが叫ぶ。俺と宍戸さんの間を裂くような大声だ。でも周囲は人がいっぱいでうるさいから、そのせいだけかもしれない。俺は考えすぎなのかもしれない。
「じゃ、また」
 ありがとな、と宍戸さんはパッケージの端をつまんで持ったパンをヒラヒラさせながら、向こうで待ってる友達たちの方に行ってしまった。俺はただ見送るだけ。

 距離を保ったつもりなのに、階段のところで見上げたら宍戸さんのずっと履きっぱなしで灰色めいている上履きがチラリと見えた。追いつきたくないのに、追いつくように足を早める。頭上から宍戸さんと誰かが喋っている。俺とは関わりのない世界にいる宍戸さんの話が、耳に降ってくる。

五限、だりぃ
寝るな、絶対
いっそ昼寝って科目があればいいじゃんな
宍戸、それ何パン?
マヨツナ
うまいのかよ
知らねぇ、ツナこれしかないみたいだし
いいよなぁテニスは後輩いっぱいいて
あいつあれか、部の後輩なんだ
そう
でけぇなぁ。何センチだ、あれ
伸びてぇなぁ、俺も
あ、やっとわかった、宍戸がペア組んでた奴だろ、あれ
ペアとか言うなよ、ダブルスだろう

「あぁ、組んでたよ、前」

 俺は足を止める。ぐるぐると円を描くように上へ延びてゆく階段の端からのぞく宍戸さんの上履きを目で追いながら。そのうち俺の視界から宍戸さんの靴も姿も声も雰囲気も全部消える。でも俺の足は釘で打たれて固定されたように、そこから動かない。
 前。以前。過去のもの。今はない。今がないならせめて前に、元に戻れればいい。でも一度変わったものは元に戻らない。それに、本当はそんなのちっとも望んでないんだ、俺。

 宍戸さんはどうなんですか。

 それでも腹は減る。こんなに痛くて辛くて悲しくても、いつもと変わらなく腹は減るんだ。
 人間て、なんて生き物なんだろう。
 ひどいよ、本当に。










★ハワイさんところのゲスト用に夏書いたもの・・・もう少し時間をいただけそうなのでワガママ言って取り返してきました(次回こそもっと!>意気込み)鳳宍は原作がチョモランマすぎて、何をやっても凡庸になってしまう。精進あるのみ★




 

 

 

 

 

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樺地景吾
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