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2003年07月21日(月) Factory12(鳳・宍戸)


たった1階分階段を上るだけなのに、その距離は遠く、目に見えない壁でもあるかのようで、鳳の足取りは重くなる。自分のいる階と同じように伸びる廊下と同じ教室の並びなのに、そこはどこか異なる世界。
昼休みも半ばをすぎ、せわしなく生徒が行き交う廊下を、鳳はなぜだか視線を下向きにして歩く。視線の先に入るのは自分の上履き。氷帝では学年ごとに上履きの靴紐の色が違う。この階にはないはずの靴紐の色というだけで、ますます気が重くなる。
運良くその教室の戸は開いていて、鳳には窓際に座ってるあの人の姿が見えたのだけれど、一番近い所にいた机をくっつけてしゃべっている女子のグループに声をかける。
「すいません。宍戸先輩、いますか?」
彼女達は互いの顔を見合わせる。鳳はいたたまれなくなる
「シシィー、お客さん」
仕方がないという面持ちで、そのうちの一人が叫ぶと、なぜか教室中のそこかしこの人の輪から笑い声が一斉にあがる。
「んな風に呼ぶんじゃねぇよ」
席から立ち上がった宍戸が怒鳴っても、鳳が声をかけた女子たちは軽やかな笑い声をあげて、シシィー、シシィーと連呼する。
「うっせぇぞ、バカ」
鳳のほうへ向かいながら、わざわざその女子たちの前で足を止めて宍戸が言う。
「あんたにバカって言われる筋合ないもん」
先刻宍戸を呼んでくれた女子が答える。
「じゃあお前も俺のことそんな風に呼ぶんじゃねぇよ」
言いながらその脇を通り過ぎようとした宍戸の結わえた髪に、後ろからあの女子の手が伸びて、鳳が知らせる間もなく、宍戸は髪を引っ張られてわっと後ろによろける。
「なにすんだ凶暴女」
「いまどきロンゲなんて流行らないよ、シシィー」
何事もなかったかのようなしらりとした顔つきの女子を見て、鳳は思わず笑っていたようで。
「笑ってんじゃねぇよ、鳳」
宍戸が鳳の事を蹴る真似をすると、シシィー、下級生いじめちゃだめだよという言葉と笑い声が起こった。

話があるのだと鳳が切り出すと、それなら上に行くかと宍戸が言い出し、二人は連れ立って屋上へ向かった。昼休みの間だけ開放されている屋上だが、鳳たち2年や、教室が1階の1年生はわざわざ階段を上るのも面倒で、ほとんど3年専用のような場所だった。初夏の陽射しはコンクリートにそのまま落ちて熱く眩しく、昼休みも残すところわずかなせいか閑散としていた。
もう食べ終わっている頃だろうと時間を見計らって行ったつもりだったが、前の時間の教材を片付けるついでに教師にこき使われたとかで、屋上に設置されたプラスチックのベンチに座ると、宍戸はさっそく食べかけの弁当を広げはじめる。
「すいません。わざわざ」
「いや、別に。ここのほうが落ち着いてしゃべれっだろ。俺も廊下で飯はちょっとなぁ」
「俺も三年の教室入る勇気ないし」
そういうもんだよなと宍戸が答える。同じ学年の他のクラスに入るのも少しためらいを感じるのに、学年が違うともう他の国のようなものだ。そう思いながら鳳は横にいるよその国の住人を見守る。
「先輩、急いで食うの、身体に良くないって言いますよ」
「お前うちの母さんみたいだな」
口いっぱい頬張りながら宍戸が言う。実は同じ事を自分もよく親に言われているのだけれど。あらかた食い尽くされた宍戸の弁当を見て、宍戸の母親も作るときにあれこれ色合いだ、栄養だと言いながら作るのかなと、とりとめもないことを考える。
 宍戸の事はまだよく知らない。先輩の誰もがおそろしく見えた1年の4月から顔は合わせているけれど。わりと親しく口をきくようになったのもあの冬以来だ。

「先輩」
鳳の声に宍戸が口を動かしながら顔をあげる。
「先輩、シシって呼ばれてるんですか?クラスで?」
「はぁ?あぁあれかシシィーな」
宍戸が苦々しげに呟く。
「俺んとこの英語の担任さ、生活指導のアイツでさ」
「あぁ、あの」
「この前授業中に俺に、お前はシシィードだからそんな髪形なのかとか言いやがって、あのバカ」
「へぇ」
「シシィーってのは女々しいってことなんだと」
「・・・ダジャレ攻撃」
「精一杯ダジャレ、あのバカが」
「切らないんですか、髪?」
「だーれが切るかよ」
宍戸は箸を振り回しながら言う。
「切る時は俺が決めんだ。だいたいうちの校則、本当はパーマだけだぜ禁止ってあんの」
宍戸の黒々とした長い髪は後ろで一つに結わえられている。なんで伸ばしているのか、注意や嫌味を言われても切らないのか。願掛けなんだという噂を聞いたが本当のところどうなのか鳳は知らない。
「先輩のクラスの女子相当こわそうですね。俺、先輩が髪ひっぱられたときビックリしました」
「だろぅ。あいつが一番凶悪なんだ」
人をバカにしてるぜと宍戸が呟く。バカにしているというよりは、親しい仲間の悪ふざけのように見えたのだけど。本当にバカにしていたら宍戸の怒りは凄まじいものになっていたに違いない。なんとなく分かる。鳳は宍戸があんな風に女子にからかわれたり、あんな風にクラスで過ごしていることを全く知らなかった。自分が知ってる先輩は部活の時だけだしな。部活ではこわい系で、でもわりと面白くて、話せば楽しい。
「あいつら平気で男子のことバンバン叩きやがって。ムカツク」
空になった弁当箱を布にくるみながら宍戸が呟いた。
「先輩、反撃しないんですか」
「バカ、女に手あげたら俺らのほうが悪者だぜ。男子は圧制に耐え忍ぶのみってやつ。鳳んとこは?」
「俺んところなんか、こないだ掃除の時間にサボってるって箒で殴りかかってましたよ」
「うわ〜コエェ。なんであいつらあんなに暴力的なんだろう」
「うちなんか家も女多いですから。もうヤバいですよ、ホント」
鳳は家での自分を思い出しながら言う。
「うぇえ、マジ?っていうかお前んち姉ちゃんとかいたんだ?」
頷く鳳に、へぇ〜そうだったっけと宍戸が呟く。宍戸が鳳の家の事を知らなければ、鳳も宍戸の家の事など知らない。ときおり、宍戸が話すことでなんとなく見えてくるものがあるけど、それだけにすぎない。部活の先輩、後輩。そんな関わりでしかない気がしたのだけど。
「で、話だけど」
宍戸が言う。膝に乗せた弁当箱の包みを軽く叩きながら。なにげなく視線を落としてこちらを見ないようにして。俺の答えを待っているんだと鳳は思う。軽く息を吸って、鳳は言う。
「俺、やりますよ、先輩」
宍戸は開きかけた口をまた閉じて、鳳の方に顔を向ける。鳳はそのまま言葉を続ける。
「その、俺のためにだってなるし。とにかく、俺、つきあいますよ。いや一緒に頑張ります、ホント」
「そうか」
一言いったあと、そうかぁ〜と深く息を吐きながら宍戸の肩が下がる。
「マジでいいの?」
「一度言ったこと取り消しませんよ、俺。」
「俺、ものすごい鳳に迷惑かけたりわがまま言ったりするかもしれないけど」
「そんな事言って俺のやる気、削がないでください」
「俺、絶対戻りたいんだ。なんだってやるって決めたんだ」
真っ直ぐ向けられた視線に鳳は少したじろいだ。
「あそこに戻らないと、取り返せない」
それは前にも聞いた言葉だった。この視線の先に見えるのは本当は俺ではなく、宍戸自身の中の何かなんだろうなと鳳は思う。本当は俺でなくてもいいのかもしれない。ちょうどそこに俺がいただけなのかもしれない。俺以外の誰であってもいいのに。
「こういう熱いのって流行んないよなぁ」
宍戸の瞳がふと和らぐ。
「俺も他のやつらみたいに投げちゃえば楽なんだ。でも」
「あんま弱音吐くと俺もシシィー先輩って言いますよ」
鳳はことさら大きく笑みを浮かべて言う。
「嫌でしょ、先輩」
「嫌だ。んなこと言ったらお前ぶっころす」
「俺も死にたくないから。言われないようにしてくださいよ、先輩」
「言わねぇよ。お前いなくなったら俺困るし」
鳳はどうしてか落ち着かなくなって立ち上がる。宍戸が怪訝な顔つきで見上げている。
「先輩、俺、次の授業移動なんですよ」
「あ、俺もだ」
勢い良く立ち上がった宍戸の膝から弁当箱がカラカラ落ちたのを、鳳は拾ってやる。
「あの、先輩」
手渡しながら鳳が言う。宍戸が問うように見る。どうして俺なんですか、と聞くはずだった。
「で、その特訓の計画ってのはいつ聞かせてもらえるんですか」
「部活の後な。今からまた練っとく」
「授業中に」
「当たり前だろ。授業なんて後でどうにでもなる」
「どうせ5時間目は眠いですしね」
「まぁな」
階段を駆け下りながらそんな事を話した。

「先輩、俺、特訓なんてテレビでしか見たことないですよ」
「へぇ、そうか」
「先輩まさかやったことあるんですか?」
「俺か?あるよ」
別れ際、宍戸がニヤニヤしながら叫んだ。
「受験前の塾の特訓ゼミ」
それ違うんじゃないですかと返す間もなく宍戸は走ってゆく。途中で廊下を走るなと言われているのが聞こえた。自分もこうしちゃおれない。二段抜かしで階段を下りながら、あの人も氷帝に入るために塾に行ったりしてたんだと鳳は思う。階段一階分、先に上ってるだけで、同じような事もいっぱいあるはずなのに想像もしてなかった。他にも自分と同じようなことや違うようなことがいっぱい分かるのだろうか。どうして俺なのかも分かるだろうか。
考えながら、自分と同じ靴紐の色をした世界に鳳は戻ってゆく。宍戸は知らない、鳳の日常に帰ってゆく。






以前試しに書いた鳳宍。凡庸ゆえお蔵入り。昔レ.ディ.オ.ヘ.ッ.ドの兄弟がシシィーって呼ばれてたそうです




 

 

 

 

 

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樺地景吾
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