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2003年07月14日(月) Factory07(2年生)


 気がつくと樺っさんはもう着替えてカバンまで持って後ろに立っていた。
 早いなぁ樺っさん
声をかけても返事がないのはいつものことで。
 俺はあせって、ロッカーの扉の裏についた小さい鏡にうつるネクタイの結び目と格闘している。もうこのネクタイ人生が始まって2年目なのに俺はいまだにきれいに結べない。朝なんか見かねた母親に結んでもらうことも度々だ。
 悪ぃな。もうちょっと待ってくれる?
もう面倒だからほどいたまま持って帰ろうか、こんな時間じゃ風紀委員の校門チェックだってないだろうし。諦めて変な風にゆがむ結び目をほどいていたら、肩を叩かれた。
 なに?
振り向くと、樺っさんが両手を伸ばしてくるところで。呆然としているうちに樺っさんはするすると俺の曲がったネクタイをほどいてきれいに結んでくれた。結んだ後にはまるで母親みたいに、結び目の上を長い指でとんとん叩いた。
 あ、ありがとう
樺っさんは黙って頷いた。

 三分の一も生徒がいなくなると学校も静かなものだ。三年生が秋の修学旅行に行っている一週間(実際4泊5日だけど。土日を入れて連休ってわけだ)俺たち二年は来年の予行練習みたいに学校や部活を仕切ることになる。 うちの部は俺と日吉が協力して一、二年の面倒をみることになった。今日は俺が部室の鍵をかけ最終点検して帰る番で、用具入れの片付けや部室の窓ガラスの鍵なんかを確認して行く間も、後ろにずっと樺っさんは付いて来ていた。
 なんだ鳳。樺地にやらせてばっかりかよ
まだ居残ってた日吉の奴が言う。
 そんなんじゃねぇよ。樺っさんは協力してくれてんの
 へぇ
樺っさんが日吉を見つめる。黒々とした眼でじっと見つめるので、日吉の奴はなんだよぉとうろたえてしまう。しまいにはテメェ笑うなと俺に当り散らす。
 笑ってねぇよ
 じゃあ生まれつき笑い顔なんだな、バカ面だ
日吉の憎まれ口も慣れっこになってきていた。こいつはこういう事しかいえない口を持って生まれてきた奴なんだ。
 お前みたいな仏頂面よりマシだよ。能面。
 なんだって?
俺と日吉の間に樺っさんがそっと割り込む。そして俺と日吉を代わる代わる見据える。樺っさんがしたのはそれだけなのだが、何よりも雄弁な行為なので。
 分かったよ、樺っさん。
俺が言うと、日吉の奴もなんだか不満げだけどとりあえず頷いている。樺っさんは何にも言わず、何にも言わないのはいつものことだけど、俺たちの間から身を引く。
 じゃ俺、帰るから。ちゃんと鍵、事務に戻しとけよ、鳳。
 はいはい
 もう持って帰んなよ
この前の朝練、俺が鍵をうっかりそのまま持ち帰ったばっかりに部室を開けるのが遅れた事を日吉は根に持っている。次に俺が何か失敗するまで忘れないつもりなのかもしれない。
 あぁもう分かってるよ。樺っさんいるし、大丈夫だよ
 ふん。じゃあ樺地に頼もう。鳳はあてになんねぇから
樺っさんは日吉に向かって手を上げ、すぐ下ろす。日吉が微笑む。あぁこいつも笑うんだと俺は思う。
 じゃぁな樺地
俺にはねぇのかよと叫んだが日吉はあっさり無視。樺っさんにだけ手を上げて部室を出て行く。
 樺っさん、あいつムカつかねぇ?
俺の言葉に樺っさんは目をぱちぱち瞬かせるだけ。
 そうか。俺、心が狭いのかなぁ
そう言った俺の肩を樺っさんはポンと叩き、まだ見ていない点検箇所に向かう。樺っさんの歩みにはためらいがなく、手馴れている様子だ。
 樺っさん、いつも跡部さんと見てまわってるの?
俺が尋ねても、樺っさんは頷きもせず、首も振らず、つかのま俺の顔をちらりと見ただけだった。

 樺っさんは俺たちの中でも特別な存在だ。
 まず、俺たちはほとんど樺っさんの声を聞いたことがない。試合中や、跡部さんへ返事をしている以外、俺たちが樺っさんの声を耳にしたことはほとんどない。部活にも樺っさんと同じクラスの奴が何人かいたが、樺っさんは授業中も発言や輪読もしないし、音楽の時間でさえ口を閉ざしているという。
 それに樺っさんは最強だ。パワーでもテクニックでも部活で勝るものはほとんどいなかった。なぜなら樺っさんは大抵の技を見ただけで再現できるからだ。それでも樺っさんが負けるのは試合を構築していく能力、駆け引きが下手だからだというのは跡部さんの言葉。
「こいつは長所も短所も表裏一体なんだ」
 な、樺地と跡部さんが言うと、樺っさんはウッスと答えた。
 そう、樺っさんは跡部さんのお気に入りだった。贔屓であり舎弟であり下僕でありお気に入り。
 俺たちが一年の頃、樺っさんは跡部さんがリーダーで指導してゆく班にいた。テニス部は部員が多いので、新入生は何人かずつに分けられて上級生の元で基礎的な体力づくりや、用具の片付けから部のしきたりから何から教わることになっている。その頃から跡部さんは樺っさんを気に入っていて、俺たちが入学したばかりの頃、樺っさんのことで当時の樺っさんのクラスでやらかしたことは、別のクラスだった俺のところにも噂で伝わった。とにかく樺っさんはそれからずっと跡部さんの後ろを付いて歩いている。
 以前、樺っさんのファン(樺っさんは意外にも、いや意外と?人気があるらしい)の女子が跡部さんに、先輩だからってひどいですと言いに行ったこともあったそうだ。その時樺っさんは珍しく、貴重な一言を放ったらしい。よく知らないが好きでやってることだとか言ったようで、もうそれからは誰も何も言わなくなった。

 樺っさんが跡部さんといる風景は当たり前のものになった。でも来年、跡部さんがいなくなったらどうなるんだろう。俺は横を歩く樺っさんを見る。落ちてくる太陽で空がぎらぎら赤く染まる中、俺たちは帰り道を一緒に歩いている。

 お前、俺らが修学旅行でいない間、樺地と一緒に帰れ。
俺は跡部さんから言われた事を思い出していた。
 俺がっすか?
 そう
 えっどうして・・・
樺っさん一人で家帰れないんじゃないすよね、と俺が笑っても跡部さんは笑わない。まさか、もしかして?俺、地雷踏んだのかとビクビクしていると、そんなわけねぇだろうと跡部さんが馬鹿にしたように言った。
 ちっと変わってるけど、別に頭が悪ィわけじゃないんだ、あいつは
 はぁ
樺っさんはとても“ちっと変わってる”部類ではないように、レギュラー中の二年同士としてわりと一緒に練習する俺でさえもそう思ったが、口に出すほど俺も馬鹿じゃない。
 なぁ鳳。お前どうして樺地のことさん付けなんだ
思いがけない質問に俺は即答できない。まだ数え切れないほどの新入部員がいた頃、樺っさんはあの性格とあのガタイなのでずいぶんなアダナで呼ばれたこともあったらしいが、それを全部跡部さんがやめさせたらしいと俺は前に聞いたことがあった。それにどこかしら樺っさんには俺たちと相容れない何かが備わっているようで、呼び捨てで名前を呼ぶような気安さは無いようにも思えた。
 いや、まぁなんとなく・・・さん付けっていうか言いやすい感じっていうか・・・
 そうか。ならいい
跡部さんは言った。
 来年この部を支えるのはお前らだ
 はい
 あいつだってその一員なんだ
まるでそれじゃあ俺たち二年が樺っさんをのけ者にでもしているようだ。そんなことしてないと言うと、もちろんそれは分かっていると跡部さんは答えた。
 いつだって何でもズバズバ言ってのける跡部さんなのにあの時はなにか言いよどんでいる風だった。
 
 とにかく俺はそうしますって言ったけど、いったいどうやって樺っさんに言い出したらいいのか分からなかった。突然一緒に帰ろう何て言われても樺っさんはどうなのかと迷っていたら、どうやら跡部さんが樺っさんに鳳の手伝いをしてやれとでも言ったらしい。なので三年が旅立った月曜以来、樺っさんはずっと俺のサポートをしてくれている。相変わらず一言もしゃべらないけれど。
 不思議なことに、言葉を交わさなくても、居心地の悪さがなかった。樺っさんが何も言わないことに最初だけ少しイライラしたけれど、樺っさんは口を開く変わりに、その首や腕、無表情と思われる顔の動きで意志を表していた。しゃべれないわけじゃないなら、そんなまわりくどくて、誤解を受けそうで、面倒な事をどうしてするんだろう。そんな疑問を直接ぶつけられるほどには、まだ、なっていない気がする。
 
 俺がとりとめなくいろんな事を考えながら、樺っさんはいつものように黙りこくりながら、バス停のある大通り着く。氷帝には珍しい徒歩通学組の俺たちだけど、樺っさんと俺とはここから行く方向が別れる。樺っさんにじゃあまたと言おうとしたとき、制服のパンツの後ろポケットに入れていた携帯が鳴った。
 俺だ!
 あぁはい
 なんだ、普通の反応だな
 驚くことなんてないですもん、宍戸さん
電話の向こうの声は近くて、声の後ろからざわざわした雰囲気が伝わってくる。
 今、どこですか
 バスの中、うるせ〜めちゃめちゃ
宍戸さんもうるさいうちの一人なんじゃないですかと言ってもゲラゲラ笑うだけ。テンション高いよ、この人。
 なぁそっち何時だ、長太郎。
 宍戸さん、国内でしょ、行く先。
そうなんだよなぁ、俺らから海外って噂だったのによぉと、何度も聞かされた同じ愚痴をまた宍戸さんが繰り返す。
 で、ちゃんとやってっか
 はい、ちゃんとやってますよ、俺らも1年も
そう返事をしている間に、何か言う声と、ガチャガチャと音が聞こえて
 あ、もしもし宍戸さん?
 なんだ、お前、鳳としゃべってたのか?
向こう側で会話してる声が飛び込んでくる。俺は携帯を握ったまま思わず樺っさんを見る。
 鳳か
あらためて俺に話しかける声がして、あわてて携帯を持ち直す。
 あ、どうも跡部さん
 お前今しゃべりながら頭下げただろう
 はぁ?
 いるよなぁ、そういうオヤヂ
確かに。反射って怖い。そして電話の向こうの人はずいぶん機嫌が良さそうだ
 楽しいですか修学旅行
 普通
 普通なんですか
 こいつがいなきゃなぁ・・・
うるせぇとか叫んでる宍戸さんの声が聞こえる。同じクラスな上に同じ班になったって、そういえば言ってたっけ。
 部は?
 あ、はい、変わりないです。頑張ってます。
 変わりがあったら困んだよ
あの片頬だけの笑みを浮かべているんだろうか。先輩だ、先輩だって怖れていた頃は、あの皮肉っぽい笑い方にもビクビクしていたと思い出す。
 新人戦近いからな、お前ら。
 はい。
 返事いいよなぁ、鳳は
返事だけじゃねぇのとまた聞こえてくる声。そんなことないですよと言うと、横のバカはほっとけと跡部さんが言う。俺は返事を返しながら樺っさんを見る。樺っさんにだって俺が誰と話しているかは分かるだろう。でも樺っさんはいつもと変わらず、監督の言葉通り“悠然自若”たるありさま。
ま、せいぜいしっかりやっとけ
 はい。ちゃんと留守守っときます。俺と、日吉と、樺っさんで
 ・・・あぁ
一瞬、跡部さんの返答が遅れた気がした。
 樺っさん、俺らのサポートしてくれて
 そうか
 あの今俺ら帰りで、隣にいるけど、変わります?
 必要ない
そのままプチっと電話が途切れた。
 なんか、向こうの電波の調子悪くて切れちゃった
俺がそう言ったのに、樺っさんは首を振った。そうじゃないだろうと言っているのか、ただ俺が言ったことの相槌なのかよく分からない。ただ樺っさんの黒々とした瞳が、どこか困惑しているように思えたので。
 どうかしたの、樺っさん
俺は言う。言ったところで返事なんて返ってきやしないものだと思っていたのに。
 分かりません
俺は驚く。樺っさんの言葉がきちんと返ってきたのは久々だから。
 分からないって、何が?
樺っさんはもう何も言わなかった。俺が聞いても何も答えず、何もなかったような、いつもと変わらないありようで。俺に一礼するとすたすたと歩き去ってしまった。
 樺っさん
俺が呼ぶと止まって振り向く。俺は何を言おうか迷ったが結局、また明日と手を振るしかなかった。樺っさんは頷くと、また向きを変えて行ってしまった。
 一人で歩いて行く樺っさんは、あんなに大きいのに、どこか悄然と寂しそうに見えた。それが見慣れない光景だったから、俺はそう思ったのだろうか。
 樺っさんにはまだまだ謎が多い。




☆今年の三月に書いていたらしい・・・ネクタイは重要アイテムだね!というので思い出して発掘。この頃修学旅行は国内でいいやって思ってましたが今は是非上海に行かせたい(趣味)2年生をもっと書きたいもんですが・・・☆




 

 

 

 

 

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樺地景吾
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