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2003年12月03日(水) |
良き時代の避暑地の歴史 |
長野県には有数の避暑地、軽井沢が有る。
今でこそ大きな商業施設が立ち並び、人の増加と建物の雑居で熱効果もあり
避暑地としての意味合いこそ失われているが
その昔はまだ作物も早々育たないような片田舎だったそうだ。
中山道として古く江戸から京都までを結ぶ宿場町として栄え始めて
まもなく、これまた、有数の活火山 浅間山 が噴火をしたのだ。
そしてあたりは満遍なく火山灰に包まれ
一説では群馬県全域に4メートルもの火山灰が積もったと聞く。
そして復興の時期を同じくしてスイスなどの列車のしくみを利用したものや
馬車、牛車を併用しながら 現在の国道18号線が出来た。
やがて現国道から外れた場所に位置する宿場町は廃れ、ひっそりと面影を消していった。
現軽井沢にはプリンスホテルがあり、西武系の資本が沢山使われている。
その為も有り、ゴルフ場側には120店舗もの沢山のショッピングセンター(アウトレットショップ)が作られ
毎日毎週賑わいを見せている。
軽井沢銀座、所謂旧道と呼ばれる方は客数こそ減った物の、いい意味での
客数の減少が起きている。
なぜならば買物客と観光客をきっちり分ける事が出来るからだ。
旧道方向には佇まいの素晴らしい建物、明治、大正建築が無数に残っている。
文豪や著名人などがこの地で執筆や活動をしていた事は周知である。
この様な急激な人の流れには理由が有り
なによりも先述の 浅間噴火 が起きた後に 交通革命とも言えるべき道の整備が行われ始めた際
多数の布教活動の為に訪れた外国人がいた事が外国文化を根付かせた事に有る。
その昔、アレキサンダー・クロフト・ショーと言うカナダ生まれのイギリスからの布教に訪れていた外国人がいた。
軽井沢を初めて訪れた外国籍の人間だ。
その彼が軽井沢をこう称し表現した。
『まさに天井の無い病院である』
つまりそれまでの日本の都会には日射によるヘルサマーとも言うべき暑さが有った。
当時の軽井沢は標高が1000mを越えている事も有り、非常に涼しく寒かったのだ。
やがて過ごし易いこの土地はあっという間に知れ渡り
在日外国人がヨーロッパの文化を持ち込み、その後も文豪や各界の著名人たちが
別荘を持つに至ったのである。
今の軽井沢には避暑地としての条件は減ってきているかも知れない。
ただし昔ながらの佇まいを感じる場所は無数に有る。
俺自身も幾つか知っているが、人には教えたく無いような場所ばかりだ。
こうしてロマンと言う言葉の似合う軽井沢は生まれ、今も盛んになっている。
無粋な余談だが、今年の7〜8月の約2ヵ月での観光客が軽井沢にもたらした
金額、つまり経済効果は80数億円と言われている。
無論長野県の中でも唯一のお金持ちの町となったのである。
おれが軽井沢で一つ何かをお勧めするとしたら
香る『苔の香』を、楽しんでもらいたい。
緑多く、木々の香りでは無く、わずかにほんのり香る『苔』の香りなのだ。
乞うお試しを…。
toto
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