++ diary ++

- 諸行無常 -

日記の表紙に戻る過去の日記新しい日記


2003年05月15日(木) バイクのレース

今から17〜8年くらい前の話。

おれはバイクのレースもしていた。 

血気盛んで色んな事をしている時期でもあって八王子や上野までバイクの部品を買いに行っていた。

とにかくバイク以外何も要らない時期だった。

女の子にも興味は有ったが、それより何よりバイクだった。

一時バイクを4台所有した時もあった。

あらゆるおかねと給料をバイクにつぎ込んでいた。

その中でミニバイクレースを皮切りに色んな草レースや走行会に行った。

一番印象に残ってるのが富士スピードウェイ(FISCO)での

ホームストレッチ。

富士のホームは直線距離で約2キロある。

そのホームに向かうまでの最終コーナーが約150キロのRで

かなりスピードがのる。

そしてピット前を通る頃にはリミッター付きのバイクでも200キロは出てしまう。

そこからが長い。

どれだけ進んでもどれくらいスピードが出ていてもそこから先の第一コーナーが

中々見えてこない。

それほどのスピードで進んでいてもホームストレッチが長く感じるのが

サーキットの怖いところ。

一緒に走っていた友達はカウルの中に頭を伏せていながら

ピットにいたそいつの彼女を見ただけでバイザーに風が入り頭をもって行かれそうになった。

危険な速度だった。

それからタイムトンネルレースが良く行われる筑波サーキット。

ここには岩城滉一もRS750(Z2)で 良く参戦していた。

比較的ショートなテクニカルサーキットでバイク向き。

ここは行くまでが遠い。

そして一番身近なところではまったのが「ミニバイクレース」

これはスクーター部門と2輪部門が有り各カテゴリーが50cc、80ccと

別れている。

おれは50ccのミニバイクを新調して、ノービス(改造無)のレースに良く出ていた。

初めてのデビューレースの時 クラッチを持ってはいけないスタートシステムを

知らずに(本来メットの上に手をおく)おれ一人だけ通常スタートを切ってしまい

フロントウィリーしたまま第1コーナーに行った。

いまは笑い話。

兄貴や友達が峠で相次いで事故を起こし病院送りになった。

バイクは途中でツーリングする為の道具に変わった。

最期に乗ったバイクは今から25年位も昔のバイクを自分の手だけで

改造して綺麗に乗っていたが結局お金が必要になり全部売ってしまった。

バイクはのってるだけで気持ちが綺麗になる気がする。

海も山も一人で行っていた。

途中出会う仲間になれる人たちとのコミニュケーションもまた楽しかった。

そんな時間が年を取っていくと少なくなる物だよね。。。









toto