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2001年09月28日(金) こころざしの問題

わたしの知ってるスターバックスのお店は、ほとんどいつも人が溢れている。
ブームに乗って、入ってみたことがある。
そのとき飲んだキャラメルマキアートは、ちょっと甘すぎるが、確かに美味しいと思った。

そのスターバックスに対して、今、アメリカで不買運動が起きているらしい。
例のニューヨークでのテロ直後、消防士が、スターバックスに入って、被害者のために水を提供してくれ、と言ったところ、店員が代金として、1ケース130ドル請求をしたのだという。

その店員が、自分の家で同じことが起こったときにも、同じように消防士に、自分の冷蔵庫に入っていた自分が買ったミネラルウォーターの代金を要求するような非人間的なまでの吝嗇家であったのだろうか?
普通に考えて、そうではないと思う。
では、スターバックスという会社が、店員に、「どんな大惨事が起きようとも、水一杯とてタダで出してはいけない」などと教育していたのか?
そんなことはあるまい。
実際、スターバックスは、救出活動をしている警官や消防士、ボランティアに対して無償でコーヒーを提供していると言う。
人命救助のために、水の1ケースや2ケース、タダで提供したとしたって、店員は褒められこそすれ、咎められることはなかっただろう。


では、なにが悪かったのか?


結局のところ、非常時にこそ、個人の人間性が出るということだろう。
その店員が、非情な人間というわけではない。
街全体が恐慌状態で、自身も取り乱していて、目の前で起こっている事態を把握できなかった、ということだろう。
そして、個人としての自分の行動に責任を取る覚悟が、咄嗟に出来なかったのだと思う。

汗まみれ、埃まみれの消防士が、血まみれの被害者のために、水をくれと言っている。
もちろん、その場にいたら、だれでも、こう言いたいだろう。

「どうぞ、持ってってください」

そう言って、水を提供して、後で、自分が勤めている店がタダで商品を渡したといって責任を追及してきたとしたら?
自分の雇い主が、そんな狭量なことを言い出すなら、1万数千円、給料から差し引かれた挙げ句に首になってもいいと思える程度の覚悟のできる人間でありたい。

あのテロが起きた、あの日、テレビに囓りつくしかなかった。

自分の身近でこんなことが起きたら……と、不安になった。
しかし。

昔、父は、家の前の道路を通る車が脱輪していたら、走って手伝いに行った。
母は、家の前で起きた事故を目撃したときには、すぐに電話をかけて、警察と救急車を呼んだ。
わたし自身も、飲み会の後、ほろ酔い気分で家に帰る途中に、女の子が自転車で転んで頭打って意識を失ったのを目撃したときには、近所のたばこ屋に駆け込んで、電話を借りて救急車を呼んだ。

わたしは、件の店員を非難できるほど、人間が出来ているわけじゃない。
だれしも、非常の場合にはパニックに陥るだろう。
が、それでも。
スターバックスの店員に金払えと言われて、ポケットマネーで130ドル払った消防士には、あんたは偉い!いい人だ!かっこいい!と、言える。
確かに偉いが、それはだれにでもできることだ。
たぶん、その場にいれば、わたしにでも。

テレビの前では、なにも出来ないが、目の前で起こったことならば、
なにかしら出来ることはあるはずなのだ。

そう思うと、少しだけ安心した。


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