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2001年08月28日(火) 想像力の恐怖

想像……と、いうよりも妄想というべきか。
いや、昨日付の、日記に書いた「四季の歌」。
「すみれの花のような父親」は想像できない、と書いた。
世間には、そういうお父さんもいるのかもしれないが、うちの厳つい父がすみれの花畑で佇んでいるところを想像して悶絶してしまったのである。
まあ、そういう気持ちいいもんでもないものを想像するのはやめて……と、思いながら、「はーるを愛するひーとーはー」と、機嫌良く歌っていて、はたと気づいた。
「四季の歌」の中の「僕の友達」の性別は?
この歌詞の中の「僕」は、ゲームや漫画やアニメでよくある「僕キャラの女の子」で無い限り、普通は男であろう。

春→友(?)
夏→父(当然男)
秋→恋人(女)
冬→母(当然女)

やはり、バランスから言って、「春を愛する僕の友達」は、男であろう。
春に咲く、薄紫の可憐な野の花のような美少年。
しかも、「すみれ」は「薔薇」より古くからの同性愛の隠喩。
一気に妖しい雰囲気が漂う。
この歌は、清らかでやさしい友と、詩人のように情熱的に愛を語る恋人の狭間で揺れ動く思春期の甘い苦悩を歌っていたのかっ!
ん?ちょっと待て。「僕」が男なら、恋人は女だろう、と単純に予測してしまったが、重大なことに気づいた。
「愛を語るハイネのような僕の恋人」というが……ハインリッヒ・ハイネ(1797−1856)は、はっきりきっぱり男性だ。
「秋を愛する詩人のような恋人」も、男?
だって、女性詩人もいっぱいいるのに、わざわざ男性詩人に喩えるなんて……
この歌、少年愛の歌だったのか。
知らなかった。
爆風スランプの「RUNNER」や、村下孝蔵(余談だが、一発変換だと「蒸らした構造」と出た)の「初恋」も妖しいと言われていたが(だれが最初に言い出したのかは知らん)、ここまで明らかな同性愛の歌は珍しい。


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