よくできたもんで、 気持ちがパンクすると、 仕事が忙しくなる。
少なくとも忙しい間は 余計なことを考えなくていいので わたしは今まで何度仕事に助けられてきただろう。
そんなコンディションでする仕事のできはといえば むしろ集中力を高めようとするので 結構いいような気がする。
青天の霹靂は、実は突然現れるのでなく その温床は何日も何ヶ月も いやもとを正せば、何十年もかけて 親や環境も手伝って形成された人格が それを「青天の霹靂だ」と感じさせるから生じるのか。
わたしにとっての霹靂は、 実は1ヶ月半ほど前から姿が見えはじめていた。 それは窓の結露のように さっと拭けばいい程度だったのに 気がつけば窓枠には水溜りができ カーテンはカビでびっしり汚れている。
これからカーテンを洗濯したり窓を掃除しても 結露自体がなくならなければ 根絶しない。 「悪い匂いは もとから絶たなきゃダメ」とCMも歌っているじゃないか。
ここを引っ越して1人になっても、生活がある限り結露は生まれる。 だから、わたしはもとを絶つことを選んだ。
失敗したらおそらくもっとえらいことになる。 「あの時 さっさと引っ越してればよかったよ。 もしくはその都度ぞうきんで拭けば取り合えずその場凌ぎできたんだ。」 後でそう悔やむかもしれない。 悔やんでも時間は取り戻せない。 それも覚悟したうえで、不可能に限りなく近い可能性にチャレンジする。
漠然とした言いまわしで、 読んだ方をいらつかせているかもと思います。 また、わたしのダメダメへたれぶりに 嫌な感じを抱かれた方もいるかもしれません。 いちいち大袈裟なんでよテメー、同情欲してんのかよナローと。 ごめんなさい。 ほんっと ダメダメへたれです。
わたしが(うまくいけばわたし達が)戦う結露とは、「病」です。 ここ数日間 ネットで調べたらこの病が完治した情報は見つかりません。 そして調査サンプルの40%が離婚した という余計な情報は知りました^^;
やってやろうじゃないの。戦ってやろうじゃないの。 ご存知かもしれませんが、仕事上の興味からメンタルストレスの 勉強をしはじめました。 そしてそれへの思いが嵩じて 生業にしようとしています。
その知識があったからこそ 今 立っていられると思います。 このことに戦えるだけの体力を作るために、今までの出会い、 (別れや裏切りなどダークな)出来事、勉強などなどがあったと 思えて仕方がありません。
人を助けたいと思って 実は自分が助けられています。 言葉は 時として刃(やいば)になります。 信じていた人からの刃の連続に、昔のままの私だったら 相手を刺すか 目の前で自分を刺していたと 物騒な話しですが思います。 それくらい、自己否定派だったんすよ、あたし。
今 すごく感謝していることがあるのですが、 ネットを媒介して知合った人々が 一度も会った事ないのに もしくはあっても数回なのに わざわざ時間を使ってキーを打って 気遣って頂くことです。 無言でご心配頂いてる方もおられるかもしれません。
わたしはなんと幸せ者でしょうか。
これからも よろしくお願いします。m(__)m
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