「修羅場」などど書いたら、 大声でののりしあったり 泣きじゃくったり 皿や箸が飛んだり そんなイメージかもしれませんが、
ここ2日間の話し合いは とても静かに流れました。
指輪だって相手に投げつけたのではなく 相手が仕事に出てから 襖に叩きつけたのが 精一杯の反抗でした。
もちろん人間ですから 精神的には山有り谷有り亀有でしたが、 自分でも不思議なくらい 話しを聞け頷き相手を否定せず かえって拍子抜けされるくらいでした。
わたしの望みは、お金持ちになることでも 成功することでもなく ただただ穏やかに 穏やかな笑顔を見ながら 穏やかな笑顔でいたい 本当にそれだけでした。
過去体験した様々なことは、それに耐えた私に対するご褒美 を与えるための試練だと思ってました。
だから今の生活は、ご褒美以外のなにものでもなかったです。
でも過去のことは 今から思えばめちゃくちゃちっぽけな気がします。 事実は小説より奇なり です。
神様は 私の人生のプログラムに でっかいでっかい爆弾をそっと埋めていました。
これは悪戯や気紛れでなく わたしがそれにどう対処できるか それが私への課題のようです。
そしてそれは最終兵器ではなく これからどんどんでてくるでしょう。 どこに埋められているかわからないけれど でももっと大きなものが 地中にあるはずです。
それがわかっていてもこの地にまだ立とうとしているのは 忍耐、許し、愛、プライド、意地、全部違うような当てはまるような 自分でもよくわかりません。
相手の不貞とか、家庭内暴力、借金、たはまたマザコンとか 仕事しないとか、世間の困った君の話しはいろいろ知っていますが、 そうそう ダンナが異常性癖で娘にひどいことをしたという知合いもいましたが 今の私の前には そういったたぐいの裏切りが横たわっているのではありません。
しつこいですが、想像だにしなかった神様から贈られたプログラムです。
さて
わたしは今自分が血を流しているのか 内臓が腹から飛び出ているのか 目が飛び出ているのか あ それは前からですが よく自覚してないくらい じんじんしています。 出産時に チョキンって切られても痛みを感じないっていいますが、 痛みもラインを超えると 他の痛みなど屁でもないって 本当なのでしょうね。
掲示板やメールに 今ひとつひとつ返信することができません。 でも どれもかしこも縋り付きたいくらいです。 どうか わたしを見ててください。勝手なこといってますが、 ご心配いただいたことで 光りの筋が差すというか なんでしょう 誰かがいる ということで立っていられるというか 変ですか。
|